諭鶴羽神社は、淡路島で最高峰となる諭鶴羽山の山頂近くに鎮座する神社です。およそ二千年も昔となる第9代開化天皇の時代に、鶴が国生み神話の伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二神を鶴が羽に乗せて山頂に降り立ったことが、諭鶴羽山の由来で諭鶴羽神社の始まりとされています。
悠久の昔より自然崇拝、山岳信仰が始まり、諭鶴羽山は神聖な山として崇められていました。中世には、諭鶴羽神社は、熊野三山と並んで修験道の聖地として熊野権現元宮といわれて「熊野本宮」と称されました。
平安時代には、清少納言の枕草子で「峰はゆつるはの峯 阿弥陀の峯 弥高の峯」と謳われています。最近では、諭鶴羽神社が「ゆづる」の名前が付いていることから、オリンピック2連覇を果たした羽生結弦選手が2度訪れています。羽生結弦選手のファンからは、同じ名前ということから聖地となっています。
なお、淡路島の観光スポットは「淡路島観光おすすめスポット39選」の記事をご参照ください。
諭鶴羽神社の基本情報
住所と電話
- 所在住所:〒656-0551 兵庫県南あわじ市灘黒岩472
- 電話:090-3990-5334
参拝時間と営業時間
- 入場料金:無料
- 参拝時間:24時間参拝可能
- 営業時間:9:00~17:00(社務所は不在の場合があります)
- 定休日:年中無休
駐車場とアクセス
- 駐車場:無料(約15台)
- アクセス:神戸淡路鳴門自動車道西淡三原ICから車で約45分
※諭鶴羽神社へアクセス道路は、幅員が狭く注意が必要です。普通車は駐車場まで走行可能です。自信のない方は無料送迎も行っています。前日までに連絡で事前予約必要です。
諭鶴羽神社の文化財
- アカガシの森(アカガシ群落):兵庫県指定天然記念物
- 諭鶴羽古道(表参道、裏参道):南あわじ市指定文化財
- 多宝塔影板碑(十二所神社内):南あわじ市指定文化財
- 宝剣板碑群二十八基(十二所神社内):南あわじ市指定文化財
その他文化財 - 親子杉:兵庫の巨樹・巨木選定
- 建武元年銘(1334年)在銘長足五輪塔型町石、他六基(複数基現存する町石として兵庫県下最古の町石)享保二十年銘(1735年)在銘町石、全十八基(表参道)
- 寛保四年銘(1744年)在銘町石、全二十八基(裏参道)
- 蓮華文軒丸瓦、布目の瓦群(境内より出土:平安時代後期)
- 薬師堂跡長享二年銘五輪塔
諭鶴羽神社の主な行事
- 山頂お宮参り:春の例大祭に赤ちゃんやお嫁さんが山頂で氏子入り(初宮詣で)を行います。
- 毛付け参り:水源守護の山(水神社)として地元農家の信仰も厚い毛付け(詣で)を行います。
- 採燈大護摩供法要:修験道を伝える屋外で護摩壇を構える採燈大護摩供法要を行います。
- お餅焼き行事:お正月にお餅を焼いて食べると1年間無病息災になることからお餅焼を行います。
諭鶴羽神社の祭神とご利益
諭鶴羽神社(ゆづるは神社)の祭神は、三柱です。
- 伊弉冉尊(イザナミノミコト)
- 速玉男命(ハヤタマノヲノミコト)
- 事解男命(コトサカノヲノミコト)
御祭神は、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が主祭神です。国生み神話に登場する女神です。神代の昔、男神の伊弉諾尊(イザナギノミコト)と共に、はじめて夫婦の道を開きました。
速玉男尊(ハヤタマノヲノミコト)と事解男尊(コトサカノヲノミコト)が祭神です。
速玉男尊(ハヤタマノヲノミコト)は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が黄泉の国で、吐いた唾から生まれた神です。事解男尊(コトサカノヲノミコト)は唾を掃きはらって生まれた神です。
諭鶴羽神社(ゆづるは神社)のご利益は、女神の伊弉冉尊をお祀りしている神社となることから、たくさんあります。
- 縁結び、恋愛成就、安産祈願、夫婦円満、夫婦和合、家内安全、厄除け開運、無病息災、病気平癒、五穀豊穣、水源守護、産業振興
御祭神の御神徳として、日本の国土を修理固成されて、多くの神々を誕生させた母なる神様です。農業や産業にまつわるご利益、恋愛や夫婦や子供にまつわるご利益、健康や厄除けにまつわるご利益まであります。
なお、奥ノ院には、二柱が祀られています。
- 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
- 伊弉冉尊(イザナミノミコト)
諭鶴羽神社は羽生結弦ファンの聖地
淡路島の諭鶴羽神社(ゆづるは神社)は、過去に2度、羽生結弦選手が訪れたことでファンの間で聖地となっています。テレビ朝日の特番「男子フィギュアハイライト&表彰式(2月17日)」の放送で、羽生結弦選手が自動車で明石海峡大橋を渡り淡路島に上陸する映像が流れていました。
南あわじ市の諭鶴羽山(ゆづるはさん)を自動車で登る道中に鹿に遭遇する場面もありました。頂上付近の諭鶴羽神社を参拝されていました。2014年のソチ五輪(ソチオリンピック)で金メダルを獲得した以降、全国にある「ゆづる」と同じ名前の神社として諭鶴羽神社の名前も挙がっていました。
2017年11月の右足首の負傷した以降、「祈祷班」と呼ばれるファンが「怪我が早く治りますように」という絵馬や「金メダルを獲れますように」という絵馬をたくさん奉納されたといわれています。
諭鶴羽神社では、羽生結弦選手を応援するために境内に「ガンバレ!羽生結弦選手応援しています」と書いたパネルを掲げていました。仙台市出身ということで「がんばろう東北!」も添えられていました。
羽生結弦選手が、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)の男子フィギュアスケートで五輪連覇を成し遂げました。同種目の連覇は66年ぶりの快挙となりました。
連覇の偉業を受けて、政府は6月1日に国民栄誉賞を授与することを決定しました。個人では最年少の受賞となります。表彰式は7月2日に首相官邸で行われました。
同じ名前の神社として淡路島の諭鶴羽神社も再び注目されています。羽生結弦選手の金メダル獲得で4年前のソチ五輪(ソチオリンピック)と同様に縦180センチ、横90センチの看板が設置されていました。
看板には「平昌オリンピック 羽生結弦選手 金メダル 二連覇おめでとうございます。日本中に感動をありがとうございました。ガンバロウ日本!ガンバロウ東北!応援しています。」との文字が添えられていました。
羽生結弦選手が奉納された絵馬には「心身ともに健康で、自分の思い描く演技ができますように。皆さんの思いが少しでも多く、叶いますように。」としたためられていました。
羽生結弦選手は2017年6月4日に諭鶴羽神社を参拝されたそうです。諭鶴羽神社には、平昌五輪の男子フィギュアの本番が終わるまで多くのファンが訪れて、たくさんの絵馬が奉納されています。
諭鶴羽神社の鳥居から狛犬まで
諭鶴羽神社の鳥居は、駐車場から程近いところにあります。数分で到着します。周辺には、立派な杉の木が何本も並んでいます。古来より自然崇拝や山岳信仰が続いている特別な雰囲気が漂っています。
昔は諭鶴羽神社へ参拝する場合、諭鶴羽ダムや灘黒岩から諭鶴羽古道を通って登山するのが一般的でした。数キロの山道を歩きながら、過酷な修験道の聖地となっていました。
諭鶴羽古道は、表参道が一の鳥居のある灘黒岩から18町となります。1町が110メートルなので大変な距離の登山となります。裏参道が神代・賀集方面から30町となります。
1町毎に町目地蔵が安置されていました。古道で発掘された町石は、建武元年(1334年)銘で、在銘町石として兵庫県で最古の町石となっています。
鳥居をくぐると、右手に手水舎があります。立派な石で、「心洗」の文字が彫られています。清水は、諭鶴羽神社の山頂付近から湧き出した清水となっています。諭鶴羽山の山頂付近から湧き出した水は、麓の諭鶴羽ダムに溜められて農業用水として淡路島玉ねぎの育成にも利用されます。
手水舎で手と口を清めてから、本殿のある階段に向かいます。階段手前には両サイドに石灯篭があります。階段の両脇から、諭鶴羽大権現と書かれたのぼりが並びます。
諭鶴羽神社のベースカラーとなる紺色で、諭鶴羽神社の神紋である鶴のマークが入っています。20段近くの階段を上ると1組の狛犬が立っています。10メートルほど先に、2組の狛犬が立っています。
手前2組は、同じタイプで無角の獅子です。最後1組は、小さなサイズの有角の狛犬で、台座と狛犬の大きさが異なります。元々は青銅製の狛犬で、戦時中に銅や鉄の不足を補う理由で徴収されたそうです。
最後の狛犬の右奥に「淡州 元熊野宮」と刻まれた大きな石碑が立っています。熊野那智大社宮司から贈られた文字だそうです。諭鶴羽神社が熊野権現元宮といわれて「熊野本宮」と称された証左です。
諭鶴羽神社の施設
本社(本殿・拝殿・幣殿)
諭鶴羽神社には、本殿と拝殿と弊社の施設として本社があります。本社には、たくさんの絵馬や千羽鶴があります。羽生結弦選手の写真や絵馬の写真も飾られています。なお、撮影は禁止です。
祭神は、伊弉冉尊(イザナミノミコト)を主祭神として、速玉男命(ハヤタマノヲノミコト)、事解男命(コトサカノヲノミコト)の三柱が祀られています。
縁結びや恋愛成就、夫婦円満や夫婦和合、安産祈願や家内安全、無病息災や病気平癒、五穀豊穣や水源守護、産業振興や厄除け開運にご利益があります。
頂上社
頂上社は、祭神として、諭鶴羽大神と八天狗が祀られています。伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が、鶴の羽に乗って諭鶴羽山に舞い降りた榧(カヤ)の大樹があった場所です。
諭鶴羽山の頂上にあります。頂上までは、諭鶴羽神社から徒歩で15分ほどで到着します。途中に奥ノ院があります。頂上には、諭鶴羽山山頂の石碑があります。一等三角点607.9メートルと刻まれています。
「御旅所 諭鶴羽神社」とあり、4月の春の例大祭には御神輿があがると彫られています。
諭鶴羽大神は、諭鶴羽神社の始まりに、諭鶴羽山に留まり、国家安全・五穀豊穣を成就する神様です。
八天狗は、日本に伝承される天狗で、相模大山・飯綱山・比良山・愛宕山・鞍馬山・大峰山・白峰山・英彦山の八山に住むとされた八人の大天狗です。八人の大天狗は、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、鞍馬山僧正坊、大山伯耆坊、彦山豊前坊、大峰山前鬼坊、白峰相模坊となります。
奥ノ院
諭鶴羽神社には、奥ノ院として篠山神社があります。祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)、大地主尊(オオクニヌシのミコト)が祀られています。
諭鶴羽山の縁起に伝わる古い社になります。元々の諭鶴羽神社となります。奥ノ院は、諭鶴羽の山頂と諭鶴羽神社を結ぶ諭鶴羽古道(裏参道)の道沿いにあります。
奥宮
諭鶴羽神社には、奥宮として十二所神社があります。祭神は、国生み神話に登場する伊弉冉尊(イザナミノミコト)、大日如来の智徳を表したのが金剛界の大日如来(ダイニチニョライ)、大日如来の理徳を表したのが胎蔵界の大日如来(ダイニチニョライ)が祀られています。
後世に平和な世の中になるように望みを託して、修験道の聖地として再興を祈願した場所です。諭鶴羽神社が、熊野権現元宮として「熊野本宮」と称された修験道の聖地を復興させようとする志となります。
なお、十二所神社は、熊野三社に祀られる12の権現です。三所権現、五所王子(小守の宮・児の宮・聖の宮・禅師の宮・若王子)、四所明神(一万の宮・勧請十五所・飛行夜叉・米持金剛童子)です。
水神社(水神様)
水神社は、本社に向かって左側にある摂社末社です。祭神として、水を司る水神様である弥都波之女尊(ミヅハノメノカミ)が祀られています。
水は、古来より飲料用水として、農業用水として、生命の源として一番大切とされてきました。
弥都波之女尊(ミヅハノメノカミ)は、火の神であるカグツチを誕生させた伊弉冉尊(イザナミノミコト)が、陰部を火傷して苦しみながら出した尿から誕生した神様とされています。
毎年6月下旬頃に、田植えの無事と農作の祈願に、三原平野の各地域から「毛付け参り」が行われています。諭鶴羽山は、年間を通じて霧が発生して降水量が多く、水源守護の神として信仰を集めています。
厳島神社
厳島神社は、本社に向かって右側にある摂社末社です。祭神として市杵島姫(イチキシマヒメ)が祀られています。
日本三大弁天といわれる広島県の厳島神社では、平家の守り神として、市杵島姫(イチキシマヒメ)と弁才天(ベンザイテン)が習合しています。
諭鶴羽神社では、市杵島姫(イチキシマヒメ)を海の神様としてお祀りしています。
市杵島姫(イチキシマヒメ)は、天照大神(アマテラスオオミカミ)とスサノオが、誓約時に、天照大神(アマテラスオオミカミ)がスサノオの剣を噛み吹き出した霧から生まれた三女神の三女です。
親子杉
親子杉は、鳥居から本社に向かう階段を登ってすぐ右手後方にあります。「親子杉」は兵庫県の巨樹巨木に選定されています。
長い歳月をかけて風雪や雷雨に耐えながら、現在もなお樹勢が盛んです。訪れるものを優しく包んでくれるような大きな杉です。太い幹と細い幹の親子の杉が注連縄で結ばれています。
神様は、自然に宿っており悠久に変わる事が無い大自然のいとなみに、神様にだけ心があるそうです。聖なる霊が宿る「親子杉」は、霊気に満ち溢れた諭鶴羽山神社の自然林にあります。
アカガシ群落
アカガシ群落は、本社の周囲を囲うように茂っている林です。1974年に、兵庫県の指定天然記念物に選定されています。諭鶴羽神社の境内は国立公園特別地域となっています。
樹齢300年以上のアカガシの樹木数十本からなる密生してる社叢林です。
諭鶴羽山は約609メートルの標高があります。アカガシ群落は約450メートル付近から上方に発達しています。アカガシの極相林としては、兵庫県で筆頭といわれています。
アカガシ群落で優占樹とするアカガシは、最大で樹高23メートル、根廻り3メートルに達します。この他、スタジイ・カクレミノ・イヌクスなど20種類以上の樹木が入り乱れて茂ります。
なお、アカガシ群落は本社の後方を覆うように茂っています。親子杉の奥には「アカガシの森」と「タブの森」の標識があります。
アカガシは、高さは20メートル、根回り1メートルに達する常緑樹のブナになります。タブノキは、高さは20メートル、根回り1メートルに達する常緑樹のクスノキになります。
奥に歩くに従って、コケが生す大きな樹木がたくさんあります。宮崎駿さんの「もののけ姫」や「となりのトトロ」に登場しそうな雰囲気です。幹や枝に生命が宿る勢いのある樹木といえます。
諭鶴羽神社のゆずりはの木(神樹)
ゆずりはの木は、諭鶴羽神社の神樹です。ゆずりはの木は本社を向かって左手にあります。春に枝先から新芽が出てくると古い葉っぱが、若い葉っぱに譲りながら落葉します。
譲りながら引き継がれる様子から、親が子を育て子が孫を育てて、先祖が代々続いて子々孫々に栄えていくという縁起物とされています。正月飾りや庭木などにも使われています。
諭鶴羽山は、ユズリハが数多く見られることに加えて、群落する照葉樹が春から夏にかけて、若葉に譲って更新していく様から名付けられたという説もあります。
ユズリハがは、雌雄異株で高さ10メートルほどに成長します。葉は長さ20センチほどになります。花は5月から6月にかけて咲きます。果実は10月から11月にかけて黒褐色に熟します。
諭鶴羽神社の御朱印帳と御朱印
諭鶴羽神社の御朱印帳と御朱印は、本社の入口でいただけます。社務所となっています。御朱印帳がありません。御朱印のみ300円で販売されています。
販売している理由は、宮司が不在の場合もあるために、印字が押された御朱印を神饌台の三方に置かれて販売されています。「お守りのお金はは賽銭箱に入れてください」との書き置きがあります。
御朱印は、丁寧にビニールの包装がされています。神紋である鶴のマークと諭鶴羽神社と書かれた紙封筒に入れられています。御朱印は、押し印となっています。
「神恩の山 ゆづるはさん 元熊野宮諭鶴羽宮 諭鶴羽神社 ご来山記念」と書かれています。神紋である鶴の印、諭鶴羽神社の印、諭鶴羽神社宮司の印と3つの朱印がされています。
諭鶴羽神社のお守りと絵馬
諭鶴羽神社のお守りと絵馬は、本社の入口が販売されています。社務所となっています。お守りは、各500円で販売されています。絵馬は300円で販売されています。
宮司が不在の場合は「お守りのお金はは賽銭箱に入れてください」との書き置きがあります。お守りの種類は、健康見守り、厄除け守り、安産子宝守り、合格守り、縁結び守り、交通安全守りがあります。
絵馬は、諭鶴羽山に舞い降りた2羽の鶴が描かれています。「恩神 鶴羽二神 神遊賜フ」と書かれています。神紋の鶴のマークと「淡州 諭鶴羽神社」と書かれています。
諭鶴羽神社の由緒
諭鶴羽神社は、創建して2150年余りを経ようという由緒ある神社です。
始まりは、第9代の開化天皇の時代となります。日本の国生み神社に登場する伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二柱の神様が、国生みの大業を果たされた以降です。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の二柱の神様が、鶴の羽に乗って日本で最初に誕生した淡路島で最高峰となる諭鶴羽山に舞い降りました。
諭鶴羽山に一人の狩人が掟を破って入り込んで狩りをしてしまいました。こともあろうことか、狩人、二柱の神様が乗られた鶴を狙って矢を射ってしまいました。
羽に傷を負った鶴は山頂にある榧(カヤ)の大樹に留まりました。人の姿となり狩人の前に現れました。
伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)であることを告げて、国家安全・五穀豊穣成就を守るために、諭鶴羽山に留まり、諭鶴羽大神となると宣言しました。
狩人は涙を流しながら神様に謝りました。神様は、狩人を許して神社を創建するように命じました。諭鶴羽神社の始まりです。狩人は、神社を創建して庄司太夫と名乗って生涯神様に仕えました。
現在も、二柱の神様が乗られた二羽の鶴は、諭鶴羽山の上を仲睦まじく舞っているそうです。
第10代崇神天皇の時代には、西天竺(インド)の神が「我が縁のある地に留まれ」と告げて、五つの剣を東の方向に投げられたそうです。一つは、紀伊国の熊野三山に留まったそうです。
一つは、下野国の日光山に留まったそうです。一つは、出羽国の羽黒山に留まったそうです。一つは、豊前国の英彦山に留まったそうです。一つは、淡路国の諭鶴羽山に留まったと伝えられています。
現在では、淡路国の諭鶴羽山は、紀伊国の熊野三山、下野国の日光山、出羽国の羽黒山、豊前国の彦山と並んで、五大修行道の一つに数えられています。全国から修験者が集まっていました。
平安時代の女流作家である清少納言の枕草子では、「峰はゆつるはの峯 阿弥陀の峯 弥高の峯」と謳われています。当時は諭鶴羽山山一帯に二十八宇もの大伽藍が建ち並んでいました。
「社殿は甍に甍を並べ、朱塗りの高殿は軒に軒を連ね」と形容されたほど賑わいました。諭鶴羽神社は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と並んで修験道の聖地として名を馳せました。
諭鶴羽神社は修験道の元となった神社とされており、熊野の神は諭鶴羽山から渡っていかれたとも伝えられています。いわゆる「諭鶴羽古道」には、昔の賑わいを推測される町石などが残されています。
平安時代の1163年の長寛勘文の「熊野権現御垂迹縁起伝」によると、唐(中国)の天台山の神が、甲寅の年に、九州筑紫国にある英彦山の峰に降臨されたそうです。
戊午の年に、四国伊予国にある、石槌の峰に渡られたそうです。甲子の年に、淡路国の諭鶴羽の峰に渡られたたそうです。庚午の年に、熊野新宮の神蔵の峰に渡られたと伝えられています。
英彦山は、福岡県田川郡と大分県中津市にまたがる標高1199メートルの霊峰です。羽黒山(山形県)と熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」に数えられています。
石鎚山は、愛媛県西条市と久万高原町にまたがる標高1982メートルで西日本最高峰の霊峰です。日本百名山、日本百景の1つで、山岳信仰(修験道)の山で日本七霊山の一つです。
日本七霊山とは、富士山(静岡県、山梨県)、立山(富山県)、白山(石川県、岐阜県)、大峰山(奈良県)、釈迦ヶ岳(奈良県)、大山(鳥取県)、石鎚山(愛媛県)です。
諭鶴羽神社の歴史
諭鶴羽神社は、悠久の昔より自然崇拝、山岳信仰が始まり神聖な山と崇められていました。清少納言の枕草子で詠まれたり、豊臣秀吉が国家安泰を祈願して参拝しています。
歴史年表
- 2150年前:開化天皇の御代に鶴の羽に乗られた二神がの頂上に遊び給ふとあり、諭鶴羽山山名の由来となり、諭鶴羽神社の起こりとなり、鶴羽神社の最初の社殿が建立されました。
- 奈良時代~平安時代:修験道が盛んとなります。二十八宇の大伽藍が建立されました。
- 1000年頃:清少納言の枕草子「峰はゆつるはの峯 阿弥陀の峯 弥高の峯」
- 1163年:長寛勘文の熊野御垂迹縁起「熊野の神は諭鶴羽山から渡られたの記」
- 1456年:焼き討ちに合い二十八宇の大伽藍を全て焼失されました。
- 1526年:諭鶴羽山勧進帳により、十八宇の伽藍を復興されました。
- 1551年:二回目の焼き討ちに合い十八宇の大伽藍を全て焼失されました。
- 1584年:豊臣秀吉が参拝して国家安泰を祈願されました。
- 1652年~1655年:蜂須賀光隆が徳島城鬼門鎮護に本殿、末社二社を造営されました。
- 1735年:舟形地蔵型町石が表参道十八基に造立されました。
- 1744年:舟形地蔵型町石が裏参道二十八基に造立されました。
- 1872年:修験道廃止令により諭鶴羽山から修験道が完全に消滅しました。
- 1933年:本殿を改築して幣殿と社務所を新築されました。
- 2008年:境内御堂に大日堂が建立されました。
- 2016年:摂社頂上社と神倉社が新築されました。
諭鶴羽神社の祭り
古来から伝わるしきたりに倣って、お祭りが執り行われています。
年間スケジュール
- 正月:ご来光遥拝、お餅焼き行事
- 2月:祈年祭
- 3月:採燈大護摩供法要(修験道大祭)
- 4月:春例大祭(第2土曜日)
- 5月:頂上社・神倉神社春祭
- 6月:毛付け参り・田植え奉告祭(6月下旬~7月上旬)
- 7月:夏祭り
- 8月:平和祈念祭
- 11月:新嘗祭
- 12月:大晦日祭
春の例大祭とお宮参り
諭鶴羽神社では、春の例大祭とお宮参りが開催されます。山頂に御神輿が登場して、巫女さんが舞を舞い、初宮参りがあります。たくさんの屋台が登場します。誰でも参加できます。
伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)の二神が諭鶴羽山の頂上の榧(かや)の木に降臨されて示現されました。狩人に命じてお社を建てさせて2150年余りです。
諭鶴羽山の神様となり、国家安寧と五穀豊穣を約束しました。地元では先祖代々、神様を称えて、子供が産まれたり、嫁に嫁いでくれば、頂上にお参りして神様に報告していました。
諭鶴羽神社の山頂への御神幸祭(渡御)と頂上での初宮参りの始まりとされています。現在でも、諭鶴羽神社に伝わる特別なお祭りとして、伝統を守りながら伝承しています。
春の例大祭の開催時期は毎年4月第2土曜日です。御神幸祭(渡御)として、白装束の氏子たちが、御神輿を担いで御旅所の諭鶴羽山を目指します。諭鶴羽山の険しい森を渡御していく姿は神々しいです。
山頂では、境内を威勢よく練リ歩きます。巫女が舞を披露して神様を称えて祈願します。神事として、誕生した赤ちゃんや氏子となった方々を神様に報告する初宮参りがあります。
お正月のご来光遥拝とお餅焼き
淡路島では、お正月に高山に登ってお餅を焼いて食べると一年間無病息災という昔からの言い伝えがあります。諭鶴羽山は、淡路島の最高峰として、「お餅焼き」の代表する神社です。
お正月には、諭鶴羽神社の横にある鎮守の森「タブの森」では、諭鶴羽山に初詣に訪れたお餅を焼く人でいっぱいになります。
お餅焼きで使う網とブロック、薪(たきぎ)は、諭鶴羽神社で用意されています。お餅だけの持参となります。苦手な方は、休憩所「ゆづりは山荘」のストーブで焼くことが可能です。
春のお彼岸に修験道の大護摩供法要
春のお彼岸に修験道の採燈大護摩供法要が開催されます。
諭鶴羽山は、五大修験道の聖地として古くより信仰を集めてきました。戦国時代の度重なる焼き討ち、明治時代の神仏分離と廃仏毀釈などにより、諭鶴羽山の修験道は消滅しました。
2008年に境内に御堂として大日堂を建立して、大日如来が勧請されました。諭鶴羽山の修験道復興への志に共鳴する熊野をはじめ、全国の行者さんや山伏達が集まりました。
約500年ぶりに修験道を復活させました。盛大に「護摩供法要」が行われました。毎年春のお彼岸となる3月下旬頃に開催されています。全国から行者さんや山伏達が集まります。
早朝に、諭鶴羽ダムから登拝します。諭鶴羽山の山頂にある諭鶴羽神社の境内で、採燈大護摩供法要と火渡りの儀が行われます。誰でも参加は自由です。
主祈願は、平和と日本国の隆昌、諭鶴羽修験の復興、諸祈願の成就(護摩木に祈願)です。特別祈願は、阪神淡路大震災復興祈願、東日本大震災復興祈願、熊本地震復興祈願です。
秋の新嘗祭と山開き登山
秋の新嘗祭と山開き登山が開催されます。
諭鶴羽山では、本格的な登山シーズンを迎えるにあたり、修験道である諭鶴羽古道の清掃と整備が行われます。11月下旬頃に山開き登山が開催されます。
登山シーズンを無事に過ごせるように安全祈願祭と秋の新嘗祭の神事が行われます。
シーズンには、全国から3000人以上の登山愛好家が諭鶴羽古道を登山します。諭鶴羽古道を守る会では、諭鶴羽山で登山やキャンプ、野外活動などを支援するために様々な活動をしています。
諭鶴羽神社の登山・トレイルラン
諭鶴羽古道は登山道ハイキングコースとして諭鶴羽ダムから諭鶴羽神社を目指す「諭鶴羽古道コース(約3キロ約1時間30分)裏参道」、灘黒岩水仙郷から諭鶴羽神社を目指す「近畿自然歩道コース(約5.7キロ約2時間)」があります。
山頂からは、紀伊水道に浮かぶ沼島を含め360度の大パノラマが楽しめます。登山イベントは、自由登山となります。登頂証がいただけます。
諭鶴羽山は、近畿百名山、ふるさと兵庫50山、ひょうごの森百選に選定されています。付近一帯が、瀬戸内海国立公園に指定されています。温暖な気候や起伏に富んだ地形から、貴重な動植物が生息しています。
年間スケジュール
- 1月:ご来光諭鶴羽登山、三が日「新春の諭鶴羽登山」
- 2月:早春の諭鶴羽登山、諭鶴羽古道トレイルラン
- 5月:新緑の諭鶴羽登山
- 8月:山の日「夏の諭鶴羽登山」
- 11月:山開き「紅葉の諭鶴羽登山」
諭鶴羽神社へのアクセス方法
諭鶴羽神社へのアクセス方法は、自動車を利用する場合、無料送迎を利用する場合、徒歩の場合の3つがあります。3つの方法とも、途中まで自動車での移動となります。
自動車を利用する場合
自動車を利用する場合は、海側から迂回して県道535号線で山道を通るルートと、真っ直ぐ上田林道で山道を通るルートの2つがあります。
県道535号線を通るルート
まず、ナビで諭鶴羽神社を登録すると大変な山道を案内される場合があります。諭鶴羽神社の案内にもありますが、南あわじ市灘連絡所を一旦行き先に設定します。
- 南あわじ市灘連絡所の電話番号:0799-56-0001
高速道路の神戸淡路鳴門自動車道の西淡三原インターチェンジより下ります。西淡三原インターチェンジの出口の信号を左折して県道31号線を進みます。
マクドナルド28号南あわじ店がある八幡交差点を通過すると、県道76号線となります。西淡三原インターチェンジから約30分ほどで海岸線に出ます。
しばらく進むとナビに設定した南あわじ市灘連絡所に到着します。周辺には、沼島行きの船が運航している土生港のりばがあります。
南あわじ市灘連絡所から海岸線を約1.7キロ(約3分)進んだところに、県道535号線の登り口となる三差路に到着します。目印は、小さな川に架かっている小さな橋です。
いよいよ山道です。小さな案内板を見落とさないように登ります。右に左に旋回するカーブがたくさんあります。道幅も車1台分くらいと狭くなってきます。落石があります。
対向車が来るとギリギリ通れるかどうかです。さらに、自動車がギリギリの道幅のところが数カ所あります。超低速で安全運転を心がけましょう。
海岸線から登ること約15分で諭鶴羽神社の駐車場に到着します。旧灘小学校の横から約5.4キロになります。駐車場は無料で約15台ほどが駐車可能となります。
なお、ワンボックスまでの自動車であれば、諭鶴羽神社の駐車場まで十分走行が可能となります。問題の対向車ですが、普段はほとんど出会うことがありません。
また、諭鶴羽神社から下る場合は、車幅が狭いために惣川方面へ一方通行でお進みください。万が一、運転に自信のない場合は、諭鶴羽神社で無料の送迎を行っています。
上田林道を通るルート
高速道路の神戸淡路鳴門自動車道の西淡三原インターチェンジより下ります。西淡三原インターチェンジの出口の信号を左折して県道31号線を進みます。
マクドナルド28号南あわじ店がある八幡交差点を左折します。国道28号線を進みます。大きな河となる三原川の端を渡って次の信号となる立石交差点の信号を右折します。
ここから一本道となります。諭鶴羽神社までは約11キロです。諭鶴羽山の看板を見ながら進みます。上田ダムの横を通ります。
林道となるために、一部は舗装されていない道路もあります。道幅も車1台分くらいと狭くなってきます。対向車が来ても、未舗装の道路の分だけ車幅が確保できるかもしれません。
落石があります。超低速で安全運転を心がけましょう。万が一、運転に自信のない場合は、諭鶴羽神社で無料の送迎を行っています。
無料送迎を利用する場合
自動車の運転に自信の無い場合は、諭鶴羽神社で県道535号線から無料の送迎を行っています。前日までに電話またはメールで予約することになります。
諭鶴羽神社の無料送迎の予約先
- 電話:090-3990-5334
- メール:yuzuruha@f4.dion.ne.jp
諭鶴羽神社までは、片道約15分となります。旧灘小学校の下にある交差点、もしくは近くのバス停が待ち合わせとなります。旧灘小学校下の海岸沿いに無料で利用できる駐車場があります。
徒歩でのアクセス
徒歩でアクセスする場合は、諭鶴羽古道の裏参道を歩くルートと、諭鶴羽古道の表参道を歩くルートと、近畿自然歩道を歩くルートの3つがあります。
なお、参道や歩道は、大雨など悪天候により道路状況は大きく変化する場合があります。事前に、道路状況を確認してから、通行することをおすすめします。
- 諭鶴羽神社社務所の電話番号:090-3990-5334
諭鶴羽古道の裏参道を歩くルート
諭鶴羽ダムから登山となります。諭鶴羽ダムは公園となっていますので無料の駐車場があります。登山口は、ダムを渡った先にあります。
諭鶴羽ダムから神倉社を経て、山頂を経て、諭鶴羽神社となります。約3.4キロの道のりです。歩行時間にして、登りで約1時間30分となります。
裏参道は、最初の階段から200メートルほど急斜面となります。その後、尾根を伝って緩やかな登り坂が続きます。比較的歩きやすい参道となります。
途中で、丁名が刻まれた地蔵が置いてあります。丁目地蔵二十八町に見守られながらの登山となります。
諭鶴羽古道の表参道を歩くルート
灘黒岩のバス停から登山となります。旧灘小学校下の海岸沿いに無料で利用できる駐車場があります。全般的に急坂が続きます。雨天時は滑りやすいので注意が必要です。
灘黒岩バス停から柴折り地蔵を経て、諭鶴羽神社となります。約2.0キロの道のりです。歩行時間にして、登りで約1時間30分かかりますが、下りも約1時間30分かかります。
ゴロゴロした石が多く転がっています。ロープを張っていますが、危険ですので引っ張らないようにしてください。途中にシカ除けのゲートがあります。開けたら閉めてください。
急勾配が続き、道の険しいので初心者には向いていません。他の参道を進んだほうが良さそうです。
近畿自然歩道を歩くルート
灘黒岩のバス停から登山となります。旧灘小学校下の海岸沿いに無料で利用できる駐車場があります。自動車の通行は不可ですが、コンクリートで舗装された歩道となります。
灘黒岩バス停から集落を経て、諭鶴羽神社となります。約5.7キロの道のりです。歩行時間にして、登りで約2時間かかります。下りは約1時間30分かかります。
途中にシカ除けのゲートがあります。開けたら閉めてください。距離は長い分、比較的しっかりした参道を歩くことができます。