淡路島の鱧の歴史は、安土桃山時代の1697年に発刊された「本朝食鑑」で「淡路島の鱧」の記載が始まりです。江戸時代の1780年代頃に沼島の孫之進さんが「ながばえ」の延縄を発明しました。
何度も改良を重ねて淡路島の鱧を簡単に活きた状態で獲る「かけ延え」を発明しました。大漁を納めることが可能となりました。それ以降、淡路島で鱧の漁が盛んになり流通も拡大しました。
現在、淡路島で鱧漁が盛んな地域は、島南部の沖にある沼島です。沼島では、ハモ漁が春の八十八夜から始まります。夏までの期間は、アジやサバなどを釣り上げて鱧のエサとしています。
ハモ漁は、沼島沖から潮の流れに乗って3時間ほどの場所で延え込みます。潮の流れが反対になると、縄を繰り上げて沼島に帰航します。鱧漁のスタイルは今も昔も変わりません。
沼島の鱧は、漁場となる沼島近海の海底がドロや砂地です。鱧の腹皮が擦れず薄く柔らかいまま成長します。鳴門海峡近海で育つことで、潮流に揉まれることから身が引き締まります。
新鮮な水が供給されてエサが豊富で、肉質、コク、色合いなど最高の鱧を育ててくれます。頭が小さく胴が太く、スタイルが良く美しい見た目から「べっぴん鱧」と呼ばれるようになりました。
ほとんどがメスで、コンドロイチンやビタミンAなどの栄養が豊富で、食べると美しくなるという意味も兼ねています。はえ縄漁で捕る一匹一匹丁寧に釣り上げられています。
体に傷が付かず、金色の美しい魚体で状態が良いことから「黄金鱧」と称されています。
鱧の流通は、豊臣秀吉が大坂に魚市場「ざこば」を開いてから盛んになりました。魚市場に鱧を積み出されて庶民の間に徐々に広がりました。京都や大坂では、町人の商業の街として栄えました。
さらに料亭などでも活魚を料理に使用するようになりました。鱧など高級魚の人気が高まりました。現在、淡路島の鱧は大阪や京都の夏には特に珍重される食材です。
京都「祇園祭」や大阪「天神祭」には無くてはならない魚とされています。
京都の祇園祭は「鱧祭(はもまつり)」とも呼ばれています。古来より、淡路の国が「御食国(みつけくに)」として朝廷に、旬を迎えるハモを献上していたことに由来しています。
京都の暑い夏を乗り切る食材としても鱧が珍重されています。
現在では、2009年から淡路島の夏の味覚である鱧(ハモ)を八坂神社に奉納する「はも道中」が行われています。淡路島観光協会が毎年開催している恒例行事となります。
兵庫県洲本市の八幡神社から京都府京都市の八坂神社まで鱧を届けるために、キャラバン隊が結成されます。八幡神社で出立式を終えてから京都の祇園に向かいます。
鱧を入れた桶を担いた白装束、法被姿の一行は「淡路島から、はも道中」のかけ声とともに八坂神社周辺を練り歩きます。八坂神社から京都南座までの約400メートルを往復します。
八坂神社に到着すると、水揚げされたばかりのハモが奉納されます。境内では郷土料理の淡路島の鱧と玉ねぎを使った「鱧すき」が振る舞われます。
淡路島では、島内のホテル、旅館、民宿、飲食店など約100軒を超えるお店で、初夏から秋にかけてハモ料理が食べられます。定番の鱧すきや湯引き、天ぷら、かば焼きなどの料理が提供されます。
淡路島の鱧には、古来から漁法と調理を受け継いできた歴史と伝統、大阪や京都の料亭で使用されている実績に裏づけされた確かな見た目と味があります。