淡路人形座 源平合戦の名作 敗走する須磨の浦で平敦盛の物語

500年の歴史を誇る淡路島の伝統芸能「淡路人形浄瑠璃」を上演する淡路人形座で、3月の注目演目は19日(月)から21日(祝・水)まで3日間11時10分から上演される「一谷嫩軍記」です。平清盛亡き後の源平の合戦を描いた名作の一つです。

源平合戦の名作 敗走する須磨の浦で平敦盛の物語

「一谷嫩軍記」は、一の谷の合戦で敗れて西国に落ち延びる平家にあって弱冠16歳の若き武将の平敦盛、若者を討ち取る無情を感じて武士を捨て僧侶となる源氏の武士の熊谷直実、二人の悲劇の物語です。一の谷の合戦で敗れた平家は須磨の浦で船に乗って八島へ退却を始めます。源氏が追い討ちをかけています。そこに、源氏の熊谷直実が声を上げて、平家の平敦盛が引き返して、両者が一騎討ちの勝負となります。両者とも馬から落ちて組み合いとなり、最後は熊谷直実が平敦盛を組み敷きます。熊谷直実は平敦盛の立派な姿や若さを鑑みて、命は助けてやりたいと考えます。

しかし、遠くから様子を見ていた源氏の武士の平山末重が、組み敷きながら平家の大将を逃がすとは二心ありと罵ります。平敦盛は自身の成仏を熊谷直実に頼み、熊谷直実はやむを得ず、平敦盛の首を討ち落とします。そこに、許嫁の玉織姫が現れて、自身も深手を負いながら平敦盛のことを尋ね歩いていました。熊谷直実は玉織姫に駆け寄ります。せめてもと熊谷直実は平敦盛の首を抱かせますが、玉織姫はもはや目も見えず、平敦盛の死を嘆き悲しみながら息絶えます。若き貴公子や美しい姫君の最期の無惨さに熊谷直実も涙します。熊谷直実は平敦盛と玉織姫の死骸を馬の背に乗せ、平敦盛の首を抱えて馬を携えて陣所へと帰るという物語です。

淡路人形座の概要

500年の歴史を誇る淡路島の伝統芸能である淡路人形浄瑠璃を上演する劇場です。淡路人形座は、1964年に吉田傳次郎座の道具類を引き継いで興業を始めて常設館として公演をしています。国内公演で20回以上、また海外公演も行っています。この他、人形浄瑠璃の後継者の指導、全国の人形芝居保存会への協力など、人形浄瑠璃の普及や発展のための活動も行なっています。もともと「道の駅うずしお」の近くにある「うずの丘 大鳴門橋記念館」にあったが、来場者が1998年の約25万人をピークに約4万人まで減少しました。そのため、2012年8月に南あわじ市でも観光拠点である「道の駅福良」に新たに新館がオープンしました。道の駅福良では、500年の伝統芸能で国指定重要無形民俗文化財の淡路人形浄瑠璃を上演する淡路人形座と、世界一の「鳴門の渦潮」の観潮船うずしおクルーズとの相乗効果を期待しています。建物は、日本の伝統文化の人形浄瑠璃の公演場所として「和」の雰囲気を醸し出しています。内装にはスギとヒノキを使用しています。舞台や客席には淡路島の伝統産業の瓦を使っています。

淡路人形浄瑠璃の概要

淡路人形浄瑠璃とは、3人遣いの人形、義太夫、太棹三味線で演じられる人形芝居のことです。江戸時代の文化の華ともてはやされ、悲しいまでに人情の機微を謳い、哀歓の人間模様を描く様は、世界で最も人形劇を舞台芸術として発展させたと言っても過言ではありません。時代物が得意とされており、早替りや道具返し、衣装山など淡路島独特の演出や演技も派手で外連味が利いた作品が多く、また人形芝居本来の雰囲気を残した外題も多く、舞台は華やかそのものといえるでしょう。これら淡路人形を自由自在に操るには何年もの修行が必要といわれ、足七年、左手七年、頭と右手は一生といわれるほどです。古典芸能を継承するために、何世代もの人々の創意工夫が重ねられ、受け継がれた舞台芸術の粋といえるでしょう。

淡路人形座の3月公演

  • 公演場所:淡路人形座
  • 公演住所:〒656-0501 南あわじ市福良甲1528-1地先
  • 電話番号:0799-52-0260
  • 上演時間
    定時公演:10:00~、11:00~、13:30~、15:00~
    臨時公演:9:00~、16:00~
  • 駐車場:道の駅福良駐車場(無料)
  • アクセス:神戸淡路鳴門道西淡三原IC、淡路島南ICから車で約15分
  • HP:淡路人形座

淡路人形座の入場料金

  • 阿コース(「人形解説」「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」)
    大人1,500円、中学生1,300円、小学生1,000円、幼児300円
  • 一谷コース(「人形解説」「一谷嫩軍記 須磨浦組討の段」)
    大人1,500円、中学生1,300円、小学生1,000円、幼児300円
  • 戎コース(「人形解説」「戎舞」)
    大人1,000円、中学生800円、小学生600円、幼児200円

淡路人形座の3月の上演日程と演目内容

1日(木) 阿
2日(金) 阿
3日(土) 休館
4日(日) 休館
5日(月) 休館
6日(火) 阿
7日(水) 阿
8日(木) 阿
9日(金) 阿
10日(土) 休館
11日(日) 休館
12日(月) 阿
13日(火) 阿
14日(水) 休館
15日(木) 阿
16日(金) 阿
17日(土) 戎
18日(日) 阿
19日(月) 阿(一谷11:10~)
20日(火) 阿(一谷11:10~)
21日(水) 阿(一谷11:10~)
22日(木) 休館
23日(金) 阿
24日(土) 阿
25日(日) 阿
26日(月) 阿
27日(火) 阿
28日(水) 休館
29日(木) 阿
30日(金) 阿
31日(土) 阿(戎10:00~)

淡路人形座の3月の演目のあらまし

戎舞(えびすまい)

戎さまが、釣竿を担いで淡路人形座へやってきました。庄屋さんはお神酒を出します。盃を飲み干した戎さまは、自分の生まれや福の神であることを話しながら舞い始めます。海の幸、山の幸を前に、皆の願いを叶えようと、お神酒を飲み、幸せを運んできます。酔った戎さまは、船に乗り、沖に出て、大きな鯛を釣り、メデタシ、メデタシと舞い納めるのでした。太鼓のリズムに合わせ、戎さまが楽しく舞うこの神事には、大らかな心を持ち、えびす顔でプラス思考に生きるという幸せの原点が込められています。

傾城阿波の鳴門 順礼歌の段(けいせいあわのなると じゅんれいうたのだん)

十郎兵衛・お弓の夫婦は、徳島の玉木家の家宝国次の刀を探すため、大阪の玉造に住み、十郎兵衛は名前も銀十郎と変え盗賊の仲間に入っていました。お弓が留守番をしているところに手紙が届きました。十郎兵衛らの悪事が露見し、追っ手がかかったので、早く立ち退くようにとの知らせでした。お弓は夫の無事と刀の発見を祈って神仏に願をかけているところに、順礼の娘が訪れます。国許に残してきた自分の娘と同じ年頃なので、話を聞いてみると両親を探して徳島からはるばる旅をしてきたという身の上を語ります。両親の名前を聞いてみると間違いなく自分の娘であることがわかりました。今すぐに抱きしめ母と名乗りたい思いを抑え、盗賊の罪が娘に及ぶことを恐れて、国へ帰るように諭します。そしてこのままここにおいて欲しいと頼むおつるを、お弓は泣く泣く追い返します。おつるの歌う順礼歌が遠のくと、お弓はこらえきれずに泣き崩れるのでした。しかし、このまま別れてはもう会えないと思い直し、急いでおつるの後を追います。

一谷嫩軍記 須磨浦組討の段(いちのたにふたばぐんき すまうらくみうちのだん)

平清盛亡き後の源平の合戦を描いた名作の一つで、一ノ谷の合戦で敗れて、西国に落ち延びようとする平家の若き武将の平敦盛と、源氏の武士の熊谷直実の悲劇を描きます。源氏の武士の平山武者所を追っていた敦盛は、途中で敵を見失い、須磨浦の波打ち際に出て、沖にいる味方の軍船に追いつこうとしていました。しかし、その姿を熊谷が見つけ、戦いとなります。熊谷が組み敷いた若武者の顔を見ると、ちょうど我が子と同じ年頃でした。哀れに思った熊谷は、見逃すので落ち延びるようにと敦盛に勧めますが、味方の平山に見咎められ、泣く泣く敦盛の首を討ちます。熊谷は心重く馬を引き、その場を立ち去るのでした。

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