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洲本城 淡路島に西日本最大級の水軍の山城

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歴史・文化
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洲本城は、淡路島洲本市の三熊山にある山城です。西日本最大級の水軍の山城と称されています。東西800メートル、南北600メートルに総石垣造の曲輪が残されています。

国の指定史跡、兵庫県の指定文化財に指定されています。続日本100名城に選定されています。

見どころは、本丸からの絶景です。西側は、洲本城下の町並みのみならず大浜海岸から紀淡海峡を一望できます。東側は、淡路富士と称される先山からの美しい峰を含めて淡路島の山々が一望できます。

他に、本丸を取り囲む石垣、本丸へ通じる大石段では、壮大で実に見事です。戦国時代から江戸時代にかけて、淡路国の統治の拠点して、淡路水軍の本拠地として存在した遺構がうかがえます。

なお、淡路島の観光については「淡路島観光スポットおすすめ40選」の記事をご参照ください。

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洲本城の概要

洲本城は、淡路島北東部の洲本市中心部の南部にある三熊山の山頂に築かれた山城です。東西800メートル、南北600メートルに総石垣造の曲輪が残されており、西日本最大級といわれています。

室町時代に、紀州熊野水軍の頭領であった安宅治興氏が築城しました。戦国時代には、紀州熊野水軍の流れを受け継ぐ淡路水軍が紀淡海峡を淡路島側から防衛する拠点としていました。

豊臣秀吉の天下獲りの時代になると、四国攻めの前線基地となりました。大阪城の出城となりました。淡路水軍は、豊臣水軍の中核として九州攻めや小田原攻めで活躍しました。

賤ヶ岳の七本槍の一人である脇坂安治氏が城主の時代、天守の増改築に加えて、山城と平城をつなぐ登り石垣を建造しました。江戸幕府の一国一城令に至るまで、大阪湾を防衛する要所でした。

洲本城の見どころは石垣です。山頂付近の北斜面から北部山麓の一帯に分布しています。面積は約27万8500平方メートルと広大な城郭です。甲子園球場11個分に匹敵します。

本丸の石垣、大石段、全国で3カ所しかない登り石垣などがあります。その他、天守台には1928年に鉄筋コンクリートで建設された日本最古となる模擬天守閣があります。

それ以外の城郭のほとんどが深い茂みに覆われています。

現在、洲本市街地から本丸部分のみ見えていますが、周囲一体に広がる石垣は木々が多い茂り緑に隠れています。2018年11月に洲本市が、洲本城の本丸以外の石垣周辺の樹木を伐採することが決定しました。

ようやく三熊山の山頂一帯に広がる総石垣造の曲輪の全貌が日の目を帯びることになります。

洲本城本丸の隣にある東の丸の周辺約2千平方メートルのエリアの作業を開始します。今後、数年かけて全体の伐採を完了するそうです。約5年ごとに伐採を行い景観を維持する計画です。

なお、洲本城が築かれた三熊山は、標高133メートルの小高い山です。山全体が瀬戸内海国立公園に属する自然公園となります。原生林に覆われています。

三熊山の岩石は約700年前の白亜紀に堆積した和泉層郡の地層となります。東西に300キロ、厚さ1キロに及びます。世界でも大変稀少なシノミノヤブムラサキをはじめ、珍しい植物が多数自生しています。

シノミノヤブムラサキは、世界で兵庫県洲本市と大阪府豊能町でしか発見されていない大変貴重な植物となっています。白い実と白い花冠がなります。樹齢1700年を超える樹木が5本確認されています。

頂上付近は、三熊山公園として整備されています。芝生広場や遊歩道、ベンチやイス、トイレや駐車場があります。洲本温泉から洲本城を経由して洲本厳島神社までは、三熊山ドライブウェイとして整備されています。

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洲本城の詳細・基本情報

住所と電話

  • 住所:〒656-0023 兵庫県洲本市小路谷1272-1
  • 電話:0799-25-5820

トイレ

  • トイレ:3カ所(洲本城の本丸の大石段の手前、洲本城跡の駐車場、三熊山ドライブウェイの道端)
    ※2020年4月6日に三熊山の東園地でトイレが改修されました。市町村振興宝くじの収益金を活用しました。住みよいまちづくりの収益金で、都道府県別の販売実績に応じて交付されます。

駐車場

  • 駐車場:無料4カ所(洲本城の大手門跡脇(馬屋曲輪跡)約20台、洲本城の入口進んですぐ約30台、三熊山山頂付近の左約50台、三熊山山頂手前の右奥約30台
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洲本城の見どころ

洲本城の見どころは、本丸に向かう大石段、本丸を囲う高石垣、天守からの絶景です。

大手門(追手門)

駐車場へ向かう入口に大手門があります。ただ、洲本城が大改修が行われた当時の「城絵図」には、大手口がありません。山麓にある居館から大手口に入る道も描かれていません。

「馬屋」とか「月見台」とか呼ばれる大手門周辺の「勘七郭(かんしちくるわ)」は、当時から存在していました。標柱には「腰曲輪」と書かれています。最後にヘアピンカーブで四方を石垣で囲われています。

ここから、さらにヘアピンカーブを抜けると馬屋手前にも高い石垣が連なっています。なお、大手門は追手門と表記される場合もあります。

当時の家臣で軍師であった佐野勘七の屋敷があったことから、「勘七郭」と名付けられた考えられています。この周辺は軍事施設だった形跡がありません。大手門は、洲本市が廃城となった江戸時代に作られたそうです。目的や理由ははっきりしておらず、「謎」とされています。

馬屋から洲本八景の絶景

大手門を過ぎると馬屋という曲輪があります。現在は20台程度が停車できる駐車場となっています。駐車場の奥には、テーブルとイスが置いています。ちょっとした休憩所です。

馬屋の奥からは、紀淡海峡が見下ろせます。手前には、洲本温泉街のホテル郡とリゾート施設「サントピアマリーナ」に、東洋一の規模といわれたヨットハーバーに600メートルの人工運河が見えます。

紀淡海峡の向こうには、明治時代に砲台が建設された和歌山の友ヶ島と淡路島の成ヶ島が見えます。洲本城が戦国時代の水軍の城として紀淡海峡の防衛の拠点であった証左となります。

なお、馬屋からの眺めは「マリーナを展望」として「洲本八景」に認定されています。

駐車場に自動車を停めて、洲本城入口の坂道を登ると南の丸の石垣があります。石垣に沿って歩くと、いよいよ洲本城の本丸がお目見えします。入口の立派な大石段が見えます。

本丸の大石段

洲本城の大石段は、山城にしては規模が大きく洲本城の威厳と格式の高さを示しています。しっかりした土台の見事な石造りは、当時の洲本城の威風を感じます。

一段一段と上りやすい石垣からは、当時の洲本城に参内する多くの人々の賑やかさを感じることができます。洲本城の一番の見どころになるかもしれません。

本丸南の虎口

洲本城の南の虎口は、大石段から本丸への直進を拒み、屈曲した内枡形を構成した城の出入口となる虎口です。巨大な門の柱を支えていた礎石が2個残されています。

南の虎口は、枡形虎口となっています。四角形の枡形状に築いた堅牢な石垣となります。

大石段の正面の高麗門を突破して右折して櫓門に進んでも、多聞櫓で取り囲まれた枡形の中で進入を阻むことができます。本丸南の虎口は強力な防衛であり、洲本城の要所として機能していました。

天守台

洲本城の本丸には天守台があります。本丸台と天守台の石垣は特に堅牢で、乱積みに代わって割り石も大きく、石材を横位置に積み、穴太積みとなっています。乱積みと異なり横目地の模様が入る積み上げ方です。

関が原の合戦以降の増改築と推測されています。洲本城の中心となる本丸は、本丸の北側に大天守と小天守の天守台があります。その間をつなぎ櫓で結ばれた連結式天守と推測されています。

後に洲本から伊予に移封となった脇坂安治が築城されたとされる大洲城の絵図からも、洲本城の本丸は多聞櫓で囲われて強固だったと考えられます。天守や多聞櫓は板張りだったと考えられます。

日本最古の模擬天守閣

天守には、1928年に展望台として建てられた模擬天守閣があります。昭和天皇の即位式「御大典」を記念して、鉄筋コンクリートで建設されました。日本最古の模擬天守となっています。

おとぎ話に出てくる竜宮城のような形をしているといわれています。

天守閣は、2013年3月から改修工事が行われました。2013年9月までに屋根瓦の吹き替え工事と耐震の補強工事が完了しました。改修後は立ち入り禁止となりました。階段が取り外されています。

天守台から洲本八景の絶景

天守台からは、断崖絶壁の石垣にあり180度に広がる絶景が見渡せます。眼下には城下町の遺構が残る碁盤の目のような洲本の町並みが広がります。東の外洋に目を向けると洲本城下の東端にある大浜海水浴場から紀淡海峡を一望できます。

西の内陸に目を向けると淡路富士と称される先山からの美しい峰を含めて淡路島の山々が一望できます。淡路水軍の本拠地だった遺構がうかがえます。

なお、天守台からの眺めは「大浜を大観」として「洲本八景」に認定されています。

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洲本城の石垣

洲本城は、本丸の石垣、東の丸の石垣、武者溜りの石垣、南の丸の石垣、西の丸の石垣、登り石垣と東西800メートル、南北600メートルに総石垣造りの郭があります。

本丸の高石垣

本丸周辺の石垣は高く堅牢で、東西南北と四方を取り囲んでいます。脇坂安治が増改築により高く築かれました。本丸南の石垣は、石垣の上部は積み足された跡もあり、反りも加えられています。関が原の合戦以降の増改築と推測されています。

本丸北東隅には、小天守台の鬼門除けの石垣があります。悪鬼が出入りする鬼門であると考えられえいました。鬼門除けとして石垣に屈曲を設けています。

鬼門除けの石垣の下には、洲本城の守り神として鎮守する八王子社があります。本丸南西には、天守台の隅角の石垣があります。大きな割石が左右交互に組まれた算木積みという工法です。

東の丸

洲本城東の最前線を防衛する石垣として、割り石の乱積みで高く築かれています。南の谷まで長く続いています。最前線の防衛として東二の門に虎口が造られています。本丸と水を守る重要な石垣と門とされています。

森林に包まれて石垣の詳細は見られないが、洲本城で最も大規模な石垣とされています。また、石垣の高さや長さからも東の丸が重要な防衛ラインであったことを窺わせています。当時、本丸と合わせて2段の土地の高さを利用した郭であったと推測されています。

洲本城で最も古い石垣は東の丸の二段の郭となっています。森林で覆い隠されていますが、東の丸の小高い丘の上にあります。石垣からは、大阪湾や紀淡海峡を見渡すことができたと推測されます。東の丸は、森林により全貌が明らかになっていませんが本丸と同レベルの石垣があります。

おそらく、東の丸からは本丸をはるかに凌ぐ紀淡海峡を見張る機能が備わっていたと考えられます。なお、石垣の隅角が鈍角となる建築法を鎬角といい、古い石垣にみられます。東の丸の高い石垣は鎬角となっています。洲本城は鎬角が数多くあり時代背景が分かります。

武者溜

東の丸の外側にある武者の集合や召集で勢ぞろいした場所です。1メートルから2メートル程度の低い石垣で囲われています。東端に洲本城と城下町洲本を結ぶ東一の門がありました。洲本城の東端となります。

東一の門が淡路水軍の出兵する門であったとされています。現在は木が覆い茂っていますが、当時は海が望めて見張りをしていたと推測されます。

西の丸

西の丸は、本丸から250メートルほど西に離れた場所にあります。二段に分かれています。石垣が割り石のままの乱積みで高さも低いです。3メートル未満の石垣で囲われています。鎬角が鈍角に築かれています。距離の長い石垣の崩れを防止するための築き方です。

登り石垣

洲本城には、上の城(現在の洲本城跡)と下の城(現在の淡路文化資料館)を結ぶ登り石垣があります。登り石垣は保存状態があまり良くありませんが、松山城、彦根城、洲本城と全国で3カ所しかない数少ない遺構です。

三熊山の山裾の平城から山頂の山城まで連結された石垣です。「登り石垣」といわれています。全国でも松山城、彦根城、洲本城と3つしかない数少ない遺構です。洲本城の登り石垣だけは二十数段の階段状に築かれています。西の登り石垣と東の登り石垣の2条があります。西の登り石垣は天守から山麓の居館まで、東の登り石垣は東の丸から山麓の居館まで結ばれています。

登り石垣は、朝鮮出兵で日本軍が海岸から丘陵の本丸を結んだ城郭を防衛するための石垣です。脇坂安治が洲本城に採用しました。山城と平城の補給路を絶たれないための防御や、平城から山城へ移動する経路の確保として考えられています。急勾配な山の斜面にあり、石垣に崩落もあり近寄って見学することはできません。

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洲本城その他の遺構

洲本城には、その他の遺構として、日月の池や日月の井戸、残念石、搦手口と北の虎口、中務母義の郭(二の丸)などがあります。

日月の池、日月の井戸

本丸の南東の谷には、石垣を築いて日月の池が施されています。近くには井戸も掘られています。洲本城には、谷地から溢れる湧き水がありました。井戸の底に日月の彫り物があるとされる日月の井戸です。

山城の生命線となる水は、山麓を利用せずに湧き水を活かすために、石垣を築いて池にしていました。近くに井戸が掘られており、水は枯れる事はなく常に供給されていました。

洲本城は、枯渇することがない水源があり、山城としての存在価値は非常に高かったとされています。その昔「日は光と生命の元であり、月は欠けてもまた満月になり蘇る」といわれていました。

日月の池と日月の井戸は、洲本城の健全と城兵の用水として生命を守る願いが込められ作られていました。日常用として利用されたり、籠城用に備えられたりしていたと推測されます。

残念石

西の丸への道中に洲本城で発見された唯一の残念石があります。残念石とは、石垣に使用するために切り出された巨石の中で、何らかの事情で役目を果たせなかった石のことです。残念石には矢穴が彫られており、割られる準備もされています。

残念石の周辺は、天守を眺める絶好の撮影スポットとなっています。崖のような三熊山の山頂に大きな石垣があります。天守閣が建っています。空と海に囲まれた山城の絶景が眺められます。

なお、洲本城に用いされた石材は三熊山で採掘された砂岩や礫岩です。三熊山は和泉層群と呼ばれる地層であり、砂岩や礫岩が堆積しており城郭を造るのに適していました。

搦手口と北の虎口

大天守の間近にある三熊山の北斜面の急峻な地形が天守を防衛します。現在は、搦手口といわれていますが、当時は大手口であったと推測されています。搦手口からの進入を防ぐのが北の虎口です。南の虎口と同様に、巨大な門の柱を支えられた礎石が2個残されています。

鏡石

本丸北の虎口に西面する石垣に、大きくて平らな石が積まれています。鏡石です。豊臣秀吉の大阪城にも、大手門、京橋口、本丸桜門の三カ所に鏡石があります。鏡は邪悪なものを退ける霊力があるとされていることから、本丸を邪悪から守る石とされています。

中務母義の郭(二の丸)

本丸東側は郭となっている広場があります。二の丸と考えられています。当時の脇坂安治の母や一族が居住していた中務母義の郭と推測されています。豊臣秀吉が築いた大阪城には山里郭があり母が居住していました。洲本城の中務母義の郭も、樹木が草花のある自然の趣があることから山里郭であったとされています。

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洲本城の神社

洲本城には、本丸の東側にある登山道を少し下ったところに八王子神社、本丸の虎口を進んだ右手に芝右衛門の社があります。

八王子神社

八王子神社は、本丸東側にある中務母義の郭から東の丸の間にある三熊山 洲本城の登山道を少し下ったところにあります。入口には大きな石鳥居があります。

八王子神社は、1526年に、安宅氏が洲本城の築城する際に勧進した神社です。炬口の戎神社とともに洲本城の鎮守の神社となっています。蛇の神様が祀られています。

石鳥居をくぐって進むと、十二支の干支が祀られている神社が並んでいます。参道を進むと石鳥居があります。石鳥居をくぐると目の前にさざれ石の巨石が見えます。

さざれ石の巨石の下は、岩窟となっており拝殿が祀られています。境内には、さざれ石の巨石がゴロゴロあります。永い歳月の経過と神聖で厳かな雰囲気が漂っています。

永い月日をかけてさざれ石となり、洲本城を御守してきた神社の境内に立つと、独特な空気を感じます。自然信仰のあったさざれ石に囲まれた空気感がパワースポットの証なのでしょう。

芝右衛門狸を祀った小さな社

本丸の南にある虎口を進んで天守を仰げる右手には、小さな社があります。「芝右衛門」と呼ばれた狸が祀られています。沢山の狸の置物が飾られています。洲本の芝右衛門は、佐渡の団三郎狸、屋島の禿狸と並んで「日本三名狸」に数えられているタヌキです。日本一の化け狸といわれています。

芝右衛門のおはなし

昔、三熊山の洲本城に、芝右衛門という愛嬌者の狸が住んでいました。1メートル80センチという大きな狸でした。お腹は大腹太鼓のようで、満月には「ポンポコ」と腹鼓を打つのでした。

芝右衛門は、人間に化けたり、木の葉のお金で買い物をしたり、いたずらもたくさんしましたが、夜道に迷った旅人の案内を引き受けるような地元の人々に愛される狸でした。

芝右衛門は、無類の芝居好きでした。芝居小屋ができた聞くと、淡路島のどこへでも芝居見物に出かけていました。芝居小屋がないときには、自ら芝居をするくらいでした。

柴右衛門の芝居好きは、それだけに納まらず、浪速(大阪)の中座で面白い芝居があると聞いたときには、人間に化けて海を渡って、木の葉のお金で芝居を楽みました。

柴右衛門は、道頓堀に足を運んでは芝居を楽しんでいました。芝居小屋では、毎日の売上金に木の葉が混じっていることから、狸か狐の仕業であると感づきました。

ある日、柴右衛門が芝居小屋に行くと犬に見つかり噛まれてしまいました。芝右衛門が亡くなってから、芝居小屋は客足がパッタリと止まりました。人気がなく客が入らなくなりました。

「芝右衛門の祟り」と噂が立ちました。芝居小屋は、芝右衛門を神様として祀りしました。すると、客足が戻り、たちまち人気の芝居小屋となったそうです。

それ以来、芝右衛門は「人気の神様」として、中村雁治郎さんをはじめ、片岡仁左衛門さん、藤山寛美さんなどたくさんの役者さんに、信仰されるようになりました。

芝右衛門の里帰りと称して、藤山寛美さんや片岡仁左衛門さんなどの寄進により洲本市に芝右衛門の社が建てられました。現在、芝右衛門の社は三熊山頂上の洲本城にあります。

芝居好きであった芝右衛門の伝説から芸能人の参拝が多いです。中座に祀られていた「柴右衛門大明神」も2000年に里帰りしました。洲本八幡神社に祀られています。

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洲本城のアクセス

洲本城へのアクセスとして、自動車で本丸近くの無料駐車場に停車して登城する方法、自動車で大浜海水浴場の無料駐車場に停車して徒歩で三熊山を登山して登城する方法、高速バスで洲本高速バスセンターに到着して徒歩で三熊山を登山して登城する方法の3つがあります。

自動車の場合

自動車の場合は、高速道路の神戸淡路鳴門自動車道の洲本インターチェンジもしくは淡路島中央スマートインターチェンジから下ります。各インターチェンジから約25分で洲本城の駐車場に到着します。

  • 住所:〒656-0023 兵庫県洲本市小路谷1272-1
  • 電話:0799-25-5820

洲本インターチェンジから下りる場合

洲本インターチェンジから下りる場合は、洲本インター前交差点を直進します。国道28号線(洲本バイパス)を進みます。青雲橋北詰交差点を右折します。国道28号線を進みます。

新潮橋北詰交差点を右折します。いわた通りを進みます。イオン洲本店を通過します。洲本バスセンターとスーパーマルナカ洲本店のある交差点を右折します。県道76号線(南淡路水仙スカイライン)を進みます。

大浜海水浴場を通過します。ホテルニューアワジを通過すると「洲本城跡」と「三熊山ドライブウェイ」の看板があります。右折して三熊山ドライブウェイを進みます。

三熊山ドライブウェイから約数分で、三熊山公園の無料駐車場、洲本城跡の2つの無料駐車場に到着します。洲本城の無料駐車場については「洲本城の駐車場」の項目に掲載します。

淡路島中央スマートインターチェンジから下りる場合

淡路島中央スマートインターチェンジから下りる場合は、淡路島中央スマートインターチェンジの出口を左折します。県道46号線を進みます。上加茂交差点を左折します。県道474号線を進みます。

新潮橋北詰交差点を直進します。いわた通りを進みます。イオン洲本店を通過します。洲本バスセンターとスーパーマルナカ洲本店のある交差点を右折します。県道76号線(南淡路水仙スカイライン)を進みます。

大浜海水浴場を通過します。ホテルニューアワジを通過すると「洲本城跡」と「三熊山ドライブウェイ」の看板があります。右折して三熊山ドライブウェイを進みます。

三熊山ドライブウェイから約数分で、三熊山公園の無料駐車場、洲本城跡の2つの無料駐車場に到着します。洲本城の無料駐車場については「洲本城の駐車場」の項目に掲載します。

徒歩の場合

徒歩の場合は、大浜海水浴場の無料駐車場に停車して三熊山を登山することになります。自動車の場合と同様に、洲本インターチェンジもしくは淡路島中央インターチェンジから下ります。

洲本城に向かう県道76号線(南淡路水仙スカイライン)の途中で、左側に松林が見えます。大浜海水浴場となります。無料駐車場が、中央の砂浜と奥の砂浜、奥の突堤の3カ所があります。

洲本城の三熊山登山道の最寄りとなる駐車場は、奥の砂浜の駐車場もしくは奥の突堤の駐車場です。なお、駐車場は、各駐車場とも30台程の駐車が可能です。合計100台ほどが駐車となっています。

駐車場の入口は、大浜海水浴場の一番奥にあります。なお、洲本城の三熊山の登山ルートについては「洲本城の三熊山登山道」の項目に掲載します。

大浜海水浴場(大浜公園)の住所と電話

  • 住所:〒656-0022 兵庫県洲本市海岸通1丁目
  • 電話:0799-22-8372

高速バスの場合

高速バスは、JR三宮駅、JR舞子駅、新幹線 新神戸駅、学園都市駅、JR大阪駅、なんば駅の最寄りとなる高速バス乗り場から淡路島行き高速バスが運行しています。

洲本バスセンターで降車します。洲本高速バスセンターに到着すると三熊山の山頂に洲本城の天守が見えます。そちらに向かって海岸線となる県道76号線(南淡路水仙スカイライン)を歩きます。

徒歩10分で大浜海水浴場(大浜公園)に到着します。なお、大浜海水浴場から洲本城に向かう三熊山の登山ルートについては「洲本城の三熊山登山道」の項目に掲載します。

淡路交通バス

  • 高速舞子駅ー洲本バスセンター(所要時間60分、乗車料金1550円)
  • 学園都市駅ー洲本バスセンター(所要時間75分、乗車料金1600円)
  • 神戸三宮駅ー洲本バスセンター(所要時間85分、乗車料金1850円)
  • 大阪 梅田阪急3番街ー洲本バスセンター(所要時間120分、乗車料金2350円)

阪急高速バス

  • 大阪 梅田阪急3番街ー洲本バスセンター(所要時間120分、乗車料金2350円)

本四海峡バス

  • 高速舞子駅ー洲本バスセンター(所要時間60分、乗車料金1550円)
  • 三宮BT-洲本バスセンターC(所要時間85分、乗車料金1850円)
  • 新神戸駅ー洲本バスセンター(所要時間95分、乗車料金1850円)
  • なんば駅(OCAT)ー洲本バスセンター(所要時間120分、乗車料金2350円)
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洲本城の駐車場

洲本城には、三熊山山頂付近に駐車場が4つあります。全て駐車料金が無料となります。

三熊山ドライブウェイで1番最初に登場する駐車場は、三熊山ドライブウェイで坂を登る途中に右側に入った奥にある駐車場です。約30台ほどが駐車できます。

瀬戸内海国立公園に属する三熊山公園として散策やピクニックを楽しむための駐車場です。洲本城の本丸からは、かなり距離があるために他の駐車場をおすすめします。

2番目に登場する駐車場は、三熊山ドライブウェイで頂上付近に左側に見える大きな駐車場となります。約50台ほどが駐車できます。

駐車場から横断歩道を渡ると洲本城の武者溜りに通じる階段があります。武者溜りから東の丸、本丸と戦国時代の武士たちが登城したルートを通ります。ただし、本丸まで長い距離を歩きます。

3番目に登場する駐車場は、三熊山ドライブウェイから「洲本城跡」の看板を右折して、左カーブと右カーブを過ぎたところにあります。約30台ほどが駐車できます。トイレがあります。

洲本城へは、駐車場の奥の階段もしくは車道を歩きます。なお、坂道を登ったもう一段上に馬屋跡の駐車場があります。馬屋跡の駐車場が満車の場合に利用する駐車場となっています。

4番目に登場する駐車場は、洲本城の本丸に一番近い駐車場となります。三熊山ドライブウェイから「洲本城跡」の看板を右折して突き当たりの馬屋跡駐車場です。約20台ほどが駐車できます。

洲本城へは、駐車場の出口にある坂道を看板に従って登っていくと洲本城の本丸に通じます。

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洲本城の三熊山登山道

洲本城は、三熊山登山道を登って登城することができます。大浜海水浴場の中央付近の山手一丁目の交差点をスタート地点とするとわかりやすいです。登山ルートとして、西側ルートと東側ルートの2つがあります。

両方のルートとも大浜海水浴場から、ゆっくり歩いて約30分ほどで洲本城の本丸に到着します。

西側ルート

西側ルートは、三熊山の西側から登って洲本城に向かうルートです。途中で、西登り石垣を見学することができます。松山城、彦根城、洲本城と全国3カ所しかない貴重な石垣です。

なお、西側ルートでは東登り石垣もわずかに見えるのですが、保存状態が悪いために崩落の危険があります。瀬戸内海国立公園でもあるために自然保護区ともなります。山に立ち入らないでください。

西側ルートの登山口は、山手一丁目の交差点を県道76号線(南淡路水仙スカイライン)に進みます。ホテル「夢海游 淡路島」の本館横に「三熊山登山口」の標識があります。

坂道を登ると三熊山の大きな石碑に到着します。石碑を右折します。細い道となりますが手すりがあります。

しばらく歩くと松澤重太郎先生碑があります。松沢重太郎さんは博物学教師でした。三熊山で大正時代の1918年に新種の地衣類の「アワジサネゴケモドキ」を発見しました。

地衣類は、菌類の仲間で藻類と共生している特徴を持っています。淡路国津名郡だった三熊山で採集されたことから、記念碑が建立されています。

しばらく歩くと、洲本城本丸跡に進む道と洲本市街地に進む道の分岐点があります。洲本城本丸跡に進みます。

しばらく歩くと、西登り石垣から搦手口を通って洲本城本丸跡に進む道と八王子神社から大石段を通って洲本城本丸跡に進む道の分岐点があります。

分岐点を右折すると、西登り石垣を通るルートとなります。西登り石垣から搦手口を通って洲本城本丸跡に到着します。

分岐点を左折すると、八王子神社を通るルートとなります。八王子神社から大石段を通って洲本城本丸跡に到着します。

西登り石垣を通るルート

分岐点を右折すると、西登り石垣から搦手口を通って洲本城本丸跡に進みます。しばらく歩くと西登り石垣の看板があります。斜面の上のほうにわずかに見えます。さらに進むと道沿いに湾曲した石垣が連なります。

沖縄の城を彷彿とさせる立派な石垣です。高さ4メートルから5メートルがありそうです。長さも10メートルから15メートルはありそうです。石垣の先端には、曲輪に上がれるようになっています。

防御壁として機能していたのでしょう。斜面には西登り石垣が見えます。少々保存状態が良くないために崩れています。山に立ち入らないでください。

しばらく進むと本丸の石垣と洲本城の天守閣が見えます。堅牢な城といえそうです。三熊山の山頂付近は、樹木が伐採されて美しい景色を眺めることができます。

搦手口に到着します。本丸の立派な石垣を眺めながら進みます。真っ直ぐ進むと視界が開けます。城下町だった洲本市の中心部が一望できます。郭を戻ると本丸搦手虎口があります。

本丸搦手虎口を進むと洲本城本丸に到着します。

八王子神社を通るルート

分岐点を左折すると、八王子神社から大石段を通って洲本城本丸跡に進みます。ジグザグした道を進みと八王子神社の鳥居に到着します。さらに進むと舗装された道ではなく古い石の階段となります。

さらに進むと石段と石垣があります。連結しており城郭のような造りです。石段を登ると八王子神社に到着します。さらに進むと赤い鳥居があります。鳥居をくぐると祠が並んでいます。

鳥居をくぐると十二支の干支が祀られている祠が並んでいます。さらに進むと石垣の門跡に到着します。八王子木戸と呼ばれています。石垣の間を進むと八王子神社の石の鳥居があります。

石の鳥居をくぐると本丸と東の丸の中間地点に出てきます。目の前には大きな窪みとなっており、日月の池があります。本丸は右折します。しばらく歩くと二の丸と考えられている中務母義の郭があります。

馬屋駐車場に通じる道と本丸の大石段に通じる道に分かれています。しばらく進むと本丸の大石段と南の丸や西の丸に通じる道に分かれています。洲本城本丸には、大石段を登ります。

大石段を登ると本丸虎口に到着します。さらに進むと洲本城本丸に到着します。

東側ルート

東側ルートは、三熊山の東側から登って洲本城に向かうルートです。途中で、西登り石垣を見学することができます。松山城、彦根城、洲本城と全国3カ所しかない貴重な石垣です。

なお、東側ルートでは洲本城の下の城と呼ばれる石垣と掘の前を通ります。石垣と掘りの内側には、淡路文化史料館と裁判所、税務署が並んでいます。

淡路文化史料館には、続100名城のスタンプラリーのスタンプが押印できます。御城印が販売されています。入館料を払うと淡路島の歴史や文化などの史料を閲覧することができます。

東側ルートの登山口は、山手一丁目の交差点を右折します。石垣とお堀の前を通過します。突き当たりを左折します。曲がり角のスペースには足湯「潮騒の湯」があります。現在使用できません。

洲本税務署の隣を通過して真っ直ぐ山側に進むと三熊山登山口となります。

しばらく歩くと、洲本城本丸跡に進む道と大浜排水浴場に進む道の分岐点があります。洲本城本丸跡に進みます。

しらばく歩くと、西登り石垣から搦手口を通って洲本城本丸跡に進む道と八王子神社から大石段を通って洲本城本丸跡に進む道の分岐点があります。

分岐点を右折すると、西登り石垣を通るルートとなります。西登り石垣から搦手口を通って洲本城本丸跡に到着します。

分岐点を左折すると、八王子神社を通るルートとなります。八王子神社から大石段を通って洲本城本丸跡に到着します。

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洲本城の歴史

洲本城は、室町時代に熊野水軍の頭領であった安宅治興により築城されました。戦国時代に、織田信長や羽柴秀吉の四国攻めの拠点となりました。

賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられる脇坂安治が約24年間、城主を務めました。

石垣と天守閣が改築されました。淡路水軍として九州攻めや小田原攻めで活躍しました。朝鮮出兵で倭城築城の経験から登り石垣が造られました。

大坂の陣により阿波藩で徳島城主の蜂須賀家の所領となりました。筆頭家老の稲田家が城主となりました。江戸時代に洲本城の本丸が使用されなくなりました。明治時代に廃城となりました。

昭和時代には昭和天皇御大典記念として本丸に模擬天守が建造されました。平成時代から樹木の伐採事業が行われています。

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洲本城で続日本100名城のスタンプラリー

洲本城は、2017年4月6日(城の日)に「続日本100名城」に選定されました。続日本100名城は、日本城郭協会が設立50周年の記念事業として選定した名城の一覧となります。

2018年4月6日(金)から、続日本100名城スタンプラリーが開催されています。洲本城のスタンプの設置場所は、洲本城(上の城)ではなく、山裾にある下の城(洲本市立淡路文化史料館)となります。

入口の受付付近にスタンプが設置されています。

続日本100名城の選定理由

続日本100名城は、日本城郭協会が設立50周年の記念事業として、優れた文化財・史跡であり、著名な歴史の舞台であり、時代・地域の代表であることを、3つの選定基準としています。

設立40周年の記念事業として、2006年4月6日の(城の日)に選定した「日本100名城」とは、選定基準は全く同じです。今回は、史実に即して復元されていない理由から落選した城も選定されました。

洲本城は、史実に即して復元されていない理由から日本100名城に選ばれなかった城です。

洲本城が続日本100名城に選定された理由は3つ考えられます。一つ目は、洲本城が「登り石垣」という全国でも3カ所(松山城、彦根城、洲本城)しかない貴重な石垣を持っている山城であることです。

二つ目は、洲本城が山頂の山城と山裾の平城を繋いだ貴重な城郭であることです。三つ目は、洲本城が東西800メートル、南北600メートルの総石垣造の曲輪で、西日本最大の水軍の城といわれたことです。

続日本100名城スタンプラリー

続日本100名城スタンプラリーは、地域の歴史的シンボルであり日本の文化遺産である続日本100名城を多くの方に訪れてもらい、素晴らしさを感じてもらい、伝統文化への理解を深めてもらう企画です。

公式スタンプ帳は、現在販売されている「続日本100名城公式ガイドブック」(1728円)に付いています。公式ガイドブックを購入すると本の付録としてスタンプ帳が付いています。

100名城登城者は2000人を超えており、続日本100名城の認知度が広まっています。

公式スタンプ帳の各城郭の枠に直接押印します。押印に有効期限はありません。城郭により、休日や時間が変更されていたり、押印場所が異なっている場合があります。事前に確認ください。

登城認定

続100名城を全て登城して、スタンプ100個を全て押印すると、押印したスタンプ帳を日本城郭協会の事務局に送付します。内容を精査して、登城順位と認定印を押印して返送されます。

なお、同伴者の認定は、原則スタンプ帳一冊につき1人が認定の対象となります。ただし、夫婦、家族など、常時一緒に回られたことが明確な場合、同伴者と一緒に認定されます。なお、認定番号は一つです。

  • 郵送の場合:郵便局のレターバックに押印したスタンプ帳と返送用レターパックを同封して日本城郭協会の事務局に送付します。レターパックは360円と510円のどちらでも結構です。
  • 宅配便の場合:押印したスタンプ帳に返送用の封筒(返送先明記)と着払い伝票を同封して日本城郭協会の事務局に送付します。平日の昼12時から午後2時に時間指定をすると確かです。

連絡先

  • 日本城郭協会の事務局
  • 住所:〒141-0031 東京都品川区西五反田8-2-10-302
  • 電話:03-6417-9703

洲本城の下の城(洲本市立淡路文化史料館)

洲本城の下の城は、三熊山の山裾にありました。大浜海水浴場から洲本市街地に向かう道路沿いに当時の遺構として、石垣と堀が残されています。蜂須賀氏が淡路国を所領していた当時に、拠点を由良から洲本に移した1630年代以降の年代と考えられています。

洲本城は、三熊山の山頂にある山城を上の城と三熊山の山裾にある平城を下の城で構成されていました。桃山時代に上の城と下の城を一体として築城されました。現在の下の城の敷地内には、淡路文化資料館、洲本裁判所、洲本税務署などがあります。

洲本市立淡路文化史料館の基本情報

  • 住所:〒656-0024 兵庫県洲本市山手1-1-27
  • 電話:0799-24-3331
  • 入館料金:大人400円、高校・大学生250円、小中学生100円
  • 駐車場:無料(約30台)
  • アクセス:神戸淡路鳴門道洲本ICから車で約25分

洲本市立淡路文化史料館のアクセス

洲本城でスタンプが設置されている洲本市立淡路文化史料館(下の城跡)へのアクセスは、自動車と高速バスの2つの手段があります。自動車の場合は、洲本インターチェンジから車で約20分程度で到着します。無料駐車場(約30台)があります。

高速バスは、神戸三ノ宮駅、高速舞子駅、新神戸駅から発車して洲本バスセンターで降車します。洲本バスセンターから洲本市立淡路文化史料館(下の城跡)へは徒歩で約5分となります。

洲本高速バスセンターを出て海側の道路に出ます。海に向かって右側に真っ直ぐ歩きます。スーパーマルナカの横を通過して大浜海水浴場を横に直進すると石垣とお掘がある信号に到着します。

お堀沿いに歩くと洲本市立淡路文化史料館(下の城跡)に到着します。

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洲本城のお祭り・花火大会

洲本城で開催されるイベントとして、淡路島で桜の名所となることから毎年春に「洲本城桜まつり」、洲本城の歴史を振り返り魅力を発信するために毎年秋に「洲本城まつり」が開催されます。

洲本城桜まつり

毎年春になると洲本城は、本丸周辺が桜の薄紅色で覆われて風情があります。本丸を取り囲む立派な石垣の上にも、本丸へ通じる壮大な石垣の周辺にも桜が咲き、風情を感じさせます。

山城と山桜の組み合わせは歴史ロマンが漂い日本独特の美を感じさせます。本丸からの景色は素晴らしいです。4月上旬に「洲本城さくらまつり」が開催されます。

桜餅の振る舞い、花のプレゼントの他、ウクレレや和太鼓など音楽ステージ、お笑いのライブ、バルーンパフォーマンス、クイズラリーやガイドツアーなどが行われています。

ライトアップイベントとして「春の洲本城・桜灯籠」が開催されます。桜の開花時期に合わせて、洲本城周辺に灯籠を並べてライトアップするイベントです。地元園児が作製したカバーで灯篭を手作りしています。

2019年の開催期間は、3月28日(木)から4月7日(日)までとなります。点灯時間は18時から21時までとなります。桜の開花状況で変更する場合があります。

淡路島まつり花火大会

淡路島まつり花火大会は、淡路島で最大の夏祭りです。洲本市で3日間開催されます。最終日はフィナーレとして花火大会があります。淡路島洲本市にある大浜海岸で、約5000発の花火が打ち上がります。

花火大会では、淡路島の夜空を鮮やかに彩り、海面を鮮やかに煌きます。大浜海岸で幻想的な世界を体感できます。兵庫県下で最大級の花火大会といわれるほど、様々な趣向を凝らした花火を体験できます。

花火大会は、洲本港周辺で開催されますが、おすすめの観賞場所として洲本城の天守台があります。花火大会の全貌を見下ろすことができます。花火を横から上から下からとあらゆるアングルから楽しめます。

洲本城まつり

洲本城まつりは、毎年11月に三熊山の洲本城跡で開催されているまつりです。今年で10回目を迎えます。国史跡である洲本城跡の歴史を振り返り、洲本城跡の魅力を伝えて、城下町である洲本市の活性化するためのイベントです。洲本城本丸の横にある芝生広場がメイン会場となっています。

恒例行事は武士の格好をして歩く「武者行列」です。この他、謎解きクイズラリーやチャンバラ合戦、スイーツの振る舞いや松帆銅鐸バッチ作りと様々がイベントが行われるとともに飲食の出店も登場します。

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