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伊弉諾神宮 淡路島に日本最古の神社 国生み神話ゆかりの地

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歴史・文化
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伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)は、淡路島にある日本最古の神社です。日本最古の書物「古事記」と「日本書紀」に創祀の記載があります。国生み神話ゆかりの地となります。おのころ島の伝承地です。

御祭神は、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)です。日本神話「国生み」に登場する二神です。淡路国一宮(淡路島で社格と格式が1番高い神社)として古来より人々に崇敬されてきました。

格式は「神宮」を名乗る全国23社(伊勢神宮を除く)の1社です。神格は一品という極位、社格は官幣大社と由緒正しい神社です。淡路島を訪れたら是非とも行って欲しい観光スポットです。

伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)淡路島

なお、淡路島の観光については「淡路島観光スポットおすすめ40選」の記事をご参照ください。

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伊弉諾神宮の基本情報

住所と電話

公式ホームページ

参拝時間と営業時間

  • 入場料金:無料
  • 参拝時間:24時間参拝可能
  • 営業時間:8:30~17:00(社務所)
  • 定休日:年中無休

駐車場とアクセス

  • 駐車場:無料(一の鳥居の右奥の第一駐車場約25台、一の鳥居の左奥の第二駐車場約50台)
  • アクセス:神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICから車で約10分
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伊弉諾神宮の由緒と歴史

伊弉諾神宮は、淡路島にある日本最古の神社です。日本最古の書物「古事記」と「日本書紀」に創祀の記載があります。淡路国一宮(淡路國一之宮)として古来より人々に崇敬されてきました。

日本最古の神社と国生み神話

日本最古の神社と国生み神話の関係は、淡路島の誕生にまつわる歴史と深い繋がりがあります。

淡路島は、国生み神話で最初に誕生した島とされています。日本に現存する最古の書物となる「古事記」と「日本書紀」では「国生み神話」について以下のような内容の記述があります。

「神代七代の最後に登場する伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の男女二柱の神が、最初に「淤能碁呂島(おのごろじま)」に降り立ち、ここから淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡および大倭豊秋津島(本州)を生みました」

つまり、日本列島の最初に誕生した島が淡路島ということになります。

また、 伊弉諾神宮(いざなぎ神宮) について以下のような内容の記述があります。

「伊弉諾大神は国生みの大業に始まる神功を終えられて、御子神なる天照大神(アマテラスオオミカミ)に国家の統治の大業を委譲されて、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて、余生を過ごされました」

つまり、伊弉諾大神は国生みの大業を終えると淡路島の多賀に住まわれて隠居していたということになります。その後、御住居跡には御神陵が造営されて、整備されて神社となりました。

至貴の聖地として最古の神社として創始されたのが、伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)の起源となります。地元の一宮地域では、淡路国一宮にちなんで「いっくさん」と親しまれています。

淡路島の津名地域の多賀地区に鎮座して、淡路島神・多賀明神・津名明神と崇められてきました。

古事記と日本書紀に創祀の記載

伊弉諾神宮の歴史は、日本に現存する最古の書物「古事記」と「日本書紀」に創祀の記載があります。

第17代天皇の履中天皇の5年9月条に島に居る「伊奘諾神」との記載があります。履中天皇は、4世紀に即位した在位期間6年の天皇陛下になります。該当する神社は、伊弉諾神宮とされています。

第19代天皇の允恭天皇の14年9月条に「島神」の記載などがあります。允恭天皇は、5世紀に即位した在位期間42年の天皇陛下になります。該当する神社は、伊弉諾神宮とされています。

これら2つの事象が記されている伊弉諾神宮は、古事記と日本書紀に記載された最も古い神社となります。伊弉諾神宮は、古事記と日本書紀に創始の記載がある由緒正しき日本最古の神社とされています。

また、考古学的な知見からは、伊弉諾神宮の本殿下に埋蔵される伊奘諾神の墓石は、推定で2500年以上前の年代の墓石であるとの調査結果が出ています。創始の記載の裏付けとなります。

さらに、淡路島で発掘された弥生時代の銅鐸「松帆銅鐸」が、2600年から2800年までの銅鐸であるとの調査結果も出ています。鐸(さなき)から「いざなぎ」に変遷したとの説もあります。

格式「神宮号」と品位「一品」

伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)の格式は、「神宮」を名乗ることができる全国23社しかないうちの1社となり高い格式を誇ります。1954年に昭和天皇の「神宮号」の宣下に神宮に昇格となりました。

淡路国一宮として旧官幣大社で兵庫県で唯一の「神官号」を宣下された「神宮」を名乗る神社です。なお、正式名称が地名を冠しない「神宮」となる伊勢神宮は、他の神宮と区別されています。

神格は、一品という極位として平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」に記されています。社格は、官幣大社として明治時代の制度に列格されています。

なお、伊弉諾神宮と改称するまでは、平安時代の延喜式の制で「明神大社」と呼ばれていました。

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伊弉諾神宮の祭神と信仰

伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)の祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)という日本神話の「国生み」に登場する二柱です。

  • 伊弉諾尊(イザナギノミコト)
  • 伊弉冉尊(イザナミノミコト)

二柱は、日本神話の国産みに登場します。「幽宮御記」における祭神では、「伊弉諾尊一柱也」と記載されており、伊弉諾尊のみを祭神として祀られていたと考えられていました。

1870年(明治3年)に江戸時代から明治時代に移行する廃藩置県の過程で、登場した名東県(阿波国・淡路国・讃岐国)から、伊弉諾神宮は、伊弉諾尊の1柱のみとされました。

1930年(昭和5年)に本殿を開く伊弉諾尊と伊弉冉尊が国生み神話の伝来のまま祭祀されていました。資料を添えて1柱から2柱を祭神として祀るよう政府に要望しました。

1932年(昭和7年)に内務大臣から「請祭神を配祀として増加の件聴届く」と許可がでました。正式に2柱を祭神として祀ることになりました。

伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)の信仰は、男神の伊弉諾尊と女神の伊弉冉尊の二神をお祀りしていることから、以下のように多分野にわたります。

  • 縁結び、恋愛成就、夫婦円満、子授け、安産祈願、家内安全、子孫繁栄、厄除け、無病息災、病気平癒、延命長寿、商売繁昌、豊作大漁、出世開運、国家安泰

御祭神の御神徳として、国生み神話で伊弉諾尊と伊弉冉尊が夫婦の契りを結び、日本を誕生させたことから、恋愛、夫婦、子供にまつわる信仰、新規、繁昌、安泰など仕事にまつわる信仰まであります。

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伊弉諾神宮の表参道から正門まで

伊弉諾神宮は、一の鳥居(大鳥居)、二の鳥居、手水舎、表神門(正門)まで一直線に並びます。正門手前には神の島を司る「陽の道しるべ」、放生神事が行われた「放生の神池」があります。

一の鳥居(大鳥居)と石灯籠

一の鳥居(大鳥居)は、約8メートルある石の大鳥居です。花崗岩製の神明型鳥居として日本で最大規模です。一の鳥居から、石灯籠、二の鳥居、神橋、表神門(正門)、拝殿と一直線に美しく並びます。

1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で倒壊して再建されました。一の鳥居から二の鳥居まで石灯篭が並びます。左右に木々が生い茂り、神聖な気持ちにさせてくれます。砂利が撒かれています。

本殿に向かって右の石灯籠に「修理」、左側の石灯籠に「固成」と刻まれています。神々が日本を創造した一番大切な言葉で、神道の基本となる種々のものを発明するという意味です。

古事記の国生み神話の登場します。天の神々が、伊弉諾尊(イザナギ)と伊弉冉尊(イザナミ)に、国土をあるべき姿に整え(修理)、固めなさい(固成)」と命じた言葉とされます。

なお、伊弉諾神の周辺の県道沿いには風景整備の一環として「国生み灯籠」が建立されています。

狛犬と石碑

狛犬は、台座から約2メートル近くになるであろう大きな石像です。獅子や犬に似た日本の獣で想像上の生物とされています。神社の入口で一の鳥居の両脇に置かれています。

本殿の正面左右に一対で向き合う形で、参拝者と正対しています。伊弉諾神宮では、日本に伝来した当初の狛犬が獅子だったことから獅子の石像となっています。

石碑は、日本遺産の記念碑となります。高さ約4メートル、直径約60センチの大きさです。一の鳥居の左側にあります。2017年(平成29年)9月23日に「国生みの日」の除幕式が行われました。

文化庁から2016年(平成28年)4月に日本遺産として認定された「古事記の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人(あま)の営み~」を記念して建立されました。

さざれ石の碑

さざれ石の碑は、天皇陛下即位20年記念として、2008年に平成20年を奉祝して、敬神生活の綱領と国歌「君が代」が刻まれた記念碑となります。一の鳥居をくぐった右手にあります。

なお、「君が代」は読み人知らずの和歌となります。通常は二回詠むこととなります。君が代がずっとずっと永遠にという意味なります。また、君が代の「君(きみ)」の意味には諸説あります。

明治時代の天皇陛下を表す君主の「君」、自分以外のあなたを表す「君」、イザナギとイザナミの末尾の「キ」と「ミ」を合体させた国生みで創造された全ての生命を表す「君」などとされます。

香りの碑

香りの碑は、推古天皇3年夏4月に香木(沈水)が淡路島に漂着してから1400年を記念して1995年(平成7年)に建立されました。二の鳥居をくぐった右手にあります。

碑文に「香」と刻まれています。淡路島は、日本の香道の始まりの地とされています。なお、香道に関する最古の記録は、日本書記で次のような内容で記載されています。

西暦595年に、淡路島の海岸に流木が漂着しました。島民が燃やすと香りを放ちました。素晴らしい木であると朝廷に献上しました。推古天皇の時代で聖徳太子が摂政として活躍していました。

聖徳太子は、朝廷に献上された流木をすぐに香木(沈香木)と見抜きました。聖徳太子の伝記となる「聖徳太子伝略」では、その後に手箱と観音像を作ったとされています。

放生の神池

放生の神池は、伊弉諾大神の幽宮の跡地に造営された御神陵にあった掘の遺構とされています。神前にある御池であることから「放生の神池」と呼ばれています。表神門(正門)の手前にあります。

古くは放生神事(鳥や魚を放して生命の永続を祈る行事)が行われていました。現在でも、病気平癒や不老長寿のための命乞として「鯉」を放ち、快癒の感謝として「亀」を放つ信仰習慣があります。

神橋を渡って右手には、水神を祀る延寿宮があります。神橋を渡って左手には、手水舎があります。神橋を渡って正面が表神門(正門)となります。

手水舎

手水舎は、石で彫られています。神橋を渡った左手にあります。由来は安土桃山時代に遡ります

豊臣秀吉が大阪城の築城のために全国より集めた巨石が、誤って淡路島の郡家浦の沖合いに沈んでしまいました。江戸時代の末期に、氏子が引き上げて手水鉢として奉納しました。

なお、手水舎の水は、長寿の象徴である亀の口から出ています。

馬場

馬場の広場は、秋祭に流鏑馬(やぶさめ)奉射の馬場となります。東西に伸びる馬場は、約150メートルの走路となります。表神門(正門)の前にあります。

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伊弉諾神宮の陽の道しるべ

陽の道しるべは、二の鳥居をくぐった左手にあるモニュメントです。伊弉諾神宮を中心とする日本地図に、太陽の運行が示されています。日の出と日の入の方位に日本を代表する神々が鎮座しています。

伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)は「日之少宮(ひのわかみや)」とも記されます。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を太陽神と称えて、御子神である天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の朝日の神格と対比する日之少宮(ひのわかみや)として夕日の神格を表現しています。

宮司によりますと、伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)から太陽軌道の極致にあたる方位には、夏至・冬至・春秋仲日の日出と日没の地に神々が鎮座していることが確認されています。

伊弉諾神宮は伊勢神宮と同緯度上となり、中間点に最古の都「飛鳥藤原京」があります。夏至の日出は「諏訪大社」、夏至の日没は「出雲大社」となります。

春分秋分の日出は「伊勢神宮」、春分秋分の日没は「海神神社」となります。冬至の日の出は「熊野那智大社」、冬至の日没は「高千穂神社」となります。

これらの偶然は、神々の坐す大八島(おおやしま)の中で天と地を結ぶ能(はたらき)が太古から脈々と生き続けている「神の島」であることを示しているのかもしれません。

淡路島が国生み神話で最初に生まれた「始まりの島」であることを示す、太陽神の思し召しなのかもしれません。古代の神秘を感じることができる太陽神の聖地となります。

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伊弉諾神宮の本殿と拝殿

伊弉諾神宮の本殿敷地には、表神門、拝殿、本殿をはじめ、樹齢900年の「夫婦の大楠」、リーブ21奉賛の「頭髪感謝碑」などがあります。

表神門(正門)

表神門(正門)は、切妻平入一聞一戸四脚門の豪壮な構えです。檜皮葺の瓦棟で神威を誇示するような景観を生み出しています。

以前は左右に随身像の閽神(かどもりのかみ)が置かれた随身門(邪悪なものの進入を防ぐ門)で、3棟造でした。1883年(明治16年)に再建されました。

拝殿

拝殿は、桁行五間梁間二間で入り母屋造りの品格高い重厚な建物です。檜皮葺で舞殿を備えています。宮司や巫女が登場して神事が執り行われます。

1882年(明治15年)に再建されました。表神門(正門)の正面中央にあります。

伊弉諾神宮では、淡路島を国生み神話の島として伝統文化を発信するために、創生国生み神楽の演舞や三大神話神楽祭を開催しています。和楽器の音楽が流れて綺麗な衣装を身に着けて神楽を舞います。

本殿と神域

本殿は、檜皮葺三間社流造向拝付です。千木・鰹木を置いています。前方の幣殿と連結しています。一屋根に見せています。本殿大床下に、神陵の数十個の聖なる石が格納されています。

明治時代に後背の御陵地を整地して移築されたもので、それ以前は、禁足の聖地であった。御陵を中心として神域の周囲は霧で覆われていた伝えられています。拝殿の奥にあります。

正面の神池や背後の湿地は当時の遺構といわれています。境内は約1万5000坪です。江戸時代の地図では、2丁4方の社領とあり広大な神域であったとされています。

1868年(明治元年)から20年の歳月をかけて大造営を行っています。最初に改築されたのが本殿です。明治九年から神陵部が整備されました。本殿は増設して墳丘上に移築されました。

以前は、本殿後ろに伊弉諾大神の神陵があり神代から禁足でした。神陵地を整備して、墳丘の四方を覆うように二重に基壇を設けています。本殿の造営工事は明治12年に完成しました。

中門は、檜皮葺棟瓦起り屋根で妻入一間一戸四脚門です。左右は翼廊と連結しています。他に類を見ない神社建築となります。明治14年に旧本殿の跡地に建立されました。

明治時代の大造営では、官幣大社として明治12年に本殿、明治14年に中門と翼廊、明治15年に拝殿と幣殿、明治16年に正門、明治17年に透塀、明治18年に幣殿が整備されています。

2020年(令和2年)に本殿と幣殿の檜皮葺屋根の工事を行いました。屋根葺替えは43年ぶりです。本殿に淡路産瓦の大鬼瓦と大棟千木鰹木が設置されました。令和3年3月に完成しています。

本殿には、祭神として伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られています。本殿の下に伊弉諾尊の御陵があります。本殿は拝殿の後方にあります。立入禁止の聖域です。

なお、本殿裏に参拝所があります。由緒正しき神社の本殿裏は、最高の信仰場所として人気です。

昭和天皇御手植

昭和天皇御手植は、昭和天皇が植えられた楠の木です。1922年(大正11年)11月30日の皇太子殿下だった頃に、御観拝された際に御手植されています。拝殿の右側にあります。

御皇室を祖神と仰ぐ天照皇大御神の両親神をお祀りしていることから、歴代の天皇や皇室が参拝されています。他にも、伏見宮、常陸宮、三笠宮などの皇族御手植の楠の木があります。

頭髪感謝碑

頭髪感謝碑は、リーブ21が全国の毛髪に携わる人々の「毛髪への感謝をする発場」となると建立に賛同して奉賛されました。夫婦大楠(めおとのおおくす)の裏手にあります。

「髪」は「カミ」と訓じて「神」や「上」に通ずる語彙です。太古から頭髪を生命存在の象徴として霊魂が宿ると神聖化されました。髪の毛への感謝と、髪に携わる人々の発展と幸せを祈念したものです。

神輿庫

神輿庫は、茅葺寄棟造りで白壁の珍しい様式です。六角鳳輦型の豪華な神輿を格納しています。1808年(文化5年)に阿波藩主の寄進で建築されました。

毎年4月22日の春の例祭「神幸式」には、豪華な「御神輿」と 10基の絢爛な「淡路ふとんだんじり」が、伊弉諾神宮の境内に勢揃いします。場所は、頭髪感謝碑の奥にあります。

神馬の像

神馬の像は、菊の御紋が付いた神馬の銅像です。本殿の右側にあります。

祓殿

祓殿は、神事の開始に際して一同がお祓いを受ける場所です。本殿の左側にあります。地元では、罪穢れを清めたのちに、本宮を参拝する慣わしがあります。

力石

力石は、持ち上げたり、運んだり、距離を競ったりするのに使用されました。祭事では奉納相撲や力試しが行われていました。表神門(正門)をくぐった左端に置かれています。

皇大神宮遥拝所

皇大神宮遥拝所は、真東の方角に伊勢神宮(伊勢の皇大神宮)が鎮座しています。北緯34度27分23秒の同緯度上にあります。表神門(正門)をくぐった右端にあります。

伊弉諾神宮と伊勢神宮の中央に飛鳥・藤原京がありました。伊弉諾神宮では、年間様々な祭典に合わせて、遥拝式が行われている聖域となっています。

女神像

女神像は、2005年(平成17年)に震災復興事業で隠蔽された状態で所蔵が確認された神像です。九躯あります。全て女神像で新発見となります。

平安時代中期から鎌倉時代前期のものとされています。兵庫県で最古の貴重な神像です。

東西神門

東西神門は、檜皮葺一間一戸四脚門です。秀作といわれています。表神門(正門)の左右で東と西にある2つの門です。1688年(元禄元年)の修築の記録が残されています。

伊弉諾神宮の境内で最古の建造物となります。阿波藩主の蜂須賀家が寄進しています。

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伊弉諾神宮の御朱印帳と御朱印

伊弉諾神宮の御朱印は、表神門をくぐって左側にある御朱印受付所でいただきます。拝殿からは右側にあります。御朱印帳「御神印帳」が販売されています。御朱印は300円です。

御朱印には、菊の御紋と幽宮と淡路国一宮の押印があります。御朱印帳は、御神印帳と表記されています。菊の御紋と幽宮と淡路国一宮と、伊弉諾神宮の別称である日之少宮が刺繍されています。

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伊弉諾神宮のお守りと絵馬

伊弉諾神宮のお守りと絵馬は、表神門をくぐって右側で巫女さんが販売しています。お守りは、桃の実お守り、夫婦お守り、縁結御守が人気です。絵馬は、神桃絵馬が販売されています。

縁結び・夫婦縁満、国生み神話に登場する厄除け・魔除けの桃にちなんだお守りと絵馬です。

桃の実お守りは、美しい色をした桃の形に彫った木のお守りです。伊弉諾神宮の名前が付いた金色のわらじと鈴とカラフルな編み紐が付いています。

夫婦お守りは、赤と青の対になったお守りです。お守りには夫婦御守と書かれています。立派な木箱に入れられています。木箱には「夫婦御守 幽宮 淡路国一宮 伊奘諾神宮」と書かれています。

縁結御守は、ピンクと水色が対になったお守りです。「えんむすび」と書かれています。立派な木箱に入れられています。木箱には「えんむすび 幽宮 淡路国一宮 伊奘諾神宮」と書かれています。

神桃絵馬は、桃の形をして、実は下半分がピンク色、上半分が黄色、葉っぱは緑色をしています。色鮮やかな桃の絵馬となります。「祈願 神桃絵馬 淡路国一宮 伊奘諾神宮」と書かれています。

桃にまつわる物語として、日本の国生み神話では、伊弉諾尊(イザナギノミコト)が伊弉冉尊(イザナミノミコト)を探しに、現世から黄泉の国に行く物語があります。

伊弉諾尊(イザナギノミコト)が、伊弉冉尊(イザナミノミコト)との約束を破って見てはいけない姿を見てしまったために黄泉の国の化け物に追いかけられてしまいます。

黄泉の境に生えていた桃の実を3つを手に取って投げつけて難を逃れました。このことから、桃には「魔除け」「厄除け」に効果があるとされるようになりました。

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伊弉諾神宮の夫婦大楠 樹齢900年

夫婦大楠(めおとのおおくす)は、樹齢900年を誇ります。根元の周囲は12.4メートル、高さ30メートル余りの大きな楠木になります。拝殿の最右にあります。

江戸時代の淡路の古地誌に「連理(れんり)の楠」と記されています。1973年(昭和48年)に兵庫県の文化財として指定されました。なお、クスノキは兵庫県の県樹となっています。

高さ2メートルくらいから2つに枝分かれしています。元々は2株の「楠(くすのき)」が成長するに連れて合体して1株に成長したという奇樹となります。

太い枝は幹囲が5.4メートル、細い枝は幹囲が3.8メートルあります。枝張りは、南へ約16メートル、北へ約12メートルに伸びています。

伊弉諾神宮は、伊弉諾大神と伊弉冉大神で夫婦の正道の掟を定められた皇祖(すめみおや)の大神様です。 夫婦大楠(めおとのおおくす) は、夫婦神の伊弉諾尊・伊弉冉尊の御神霊が宿るご神木です。

伊弉諾神宮のご神木として、夫婦円満、安産子宝、良縁縁結などの信仰で崇められています。なお、夫婦大楠の根元に岩楠神社として国生み神話で最初に生まれた蛭子(ヒルコ)大神をお祀りしています。

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伊弉諾神宮の摂社末社

左右神社

左右神社は、摂社・末社(枝宮・枝社)として、左目より出現した天照皇大神、右目より出現した月読尊が祀られています。本殿の最右奥にあります。

本殿の東、伊勢神宮の方位に鎮座して、病気平癒の祈願所となっています。

鹿島神社・住吉神社

鹿島神社・住吉神社は、摂社・末社(枝宮・枝社)として農業守護と武運長久の神徳を仰いで祀られています。本殿の右側にあります。

根神社・竈神社

根神社・竈神社は、摂社・末社(枝宮・枝社)として、酒造・醸造の守護神として祀られています。なお、伊弉諾神宮の御神酒は、千年一酒造が奉納しています。

なお、千年一酒造の「國生みの雫」は、幽宮の御領酒となります。本殿の右側にあります。

淡路祖霊社

淡路祖霊社は、淡路出身の先賢と、明治屯田兵、日清、日露、大東亜の英霊並びに没した英霊並びに伊弉諾神宮歴代の祝職が祀られています。明治8年に創始されました。東門をくぐるとあります。

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伊弉諾神宮の他の施設

お土産店「せきれいの里」

お土産店「せきれいの里」は、二の鳥居を右折して少し進むとあります。夫婦をテーマとした「地域の資源」や「地元食材」を活かしたオリジナル商品を販売しています。

淡路島の観光拠点として、夫婦(家族)の絆を深める体験メニューも数多く取り揃えております。「せきれい」という名前は、夫婦円満の御神鳥として崇められた「鶺鴒」(せきれい)に由来します。

  • 営業時間:10:00~16:00
  • 電話:0799-70-1010

貴賓殿・参集殿

貴賓殿・参集殿は、二諮問をくぐるとあります。昭和8年に建築されました。皇族をお迎えする建物です。貴賓間は、平成27年に現在の位置に移設されました。参集館との共有の施設です。

遺品館

遺品館は、御祭神の遺品や軍役の資料を展示しています。御霊名を金属板に刻んで壁面に掲げられています。淡路祖霊社の脇にあります。

御社池

御社池は、神池と同様に悠久の濠の名残となります。本殿の裏の杜の奥にあります。古来より、伊弉諾神宮では神陵地を囲うように濠を巡らされていました。

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伊弉諾神宮の体験メニュー

夜間特別参拝 ライトアップと創生国生み神楽

毎月22日(水)の夜間、19時から20時30分まで伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)にて「夜間特別参拝ライトアップと創生国生み夜神楽」が開催されます。拝殿や正門、大鳥居、夫婦大楠など10基のライトで照らして、参道も300個のローソクが灯されてライトアップされます。幻想的な雰囲気の中を、お香で清めて語り部(コンシェルジュ)の案内で拝殿の特別正式参拝を体感出来ます。「創生国生み神楽」の舞を鑑賞出来ます。

ライトアップと創生国生み神楽の基本情報

  • 受付時間:18:00~
  • 開始時間:19:00~20:30
  • 特別参拝祈願(約50分)
  • 創生国生み夜神楽の舞(約40分)
  • 特別参拝と神楽鑑賞:3800円
  • 縁満勾玉根付、せきれいの里おもてなし券(300円相当)をプレゼント

語り部(コンシェルジュ)参拝

伊弉諾神宮を語り部(コンシェルジュ)と共に巡ります。お香で清めて神宮内の様々なパワースポット(神宮の森の老松、夫婦の大楠、放生の神池)を語り部(コンシェルジュ)の案内で回ります。拝殿の特別正式参拝も体感出来ます。

コンシェルジュ参拝の基本情報

  • 受付時間:13:00~
  • 正式参拝:14:00~
  • 料金:2500円(希望日10日前までに要予約)
  • 縁満勾玉根付、せきれいの里おもてなし券(300円相当)をプレゼント

神様の結うとおり

伊弉諾神宮前にある通りを「神様の結うとおり」と名付けています。古事記の35柱の神々のモニュメントが建立されています。8つの願意に合わせてパワースポットを巡ります。お香で清めて語り部(コンシェルジュ)の案内により、拝殿の特別正式参拝も体感出来ます。

神様の結うとおりの基本情報

  • 受付時間:10:00~、13:00~
  • 正式参拝:11:00~、14:00~
  • パワスポットめぐり:4800円(約120分)(希望日10日前までに要予約)
  • 人力車コースめぐり(お一人様):10000円(希望日10日前までに要予約)
  • 人力車コースめぐり(お二人様):18000円(希望日10日前までに要予約)
  • 縁起ガラス、縁満勾玉根付、せきれいの里おもてなし券(300円相当)、商店街 開運
  • メニュー(1500円相当)をプレゼント
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伊弉諾神宮の祭り

古来から伝わるしきたりに倣って、お祭りが執り行われています。

年間スケジュール

  • 1月:1日(歳旦祭)、3日(元始祭)、14日(淡路祖霊社 新年祭)、15日(粥占祭)
  • 2月:節分日(節分厄除祭)、立春日(湯立神楽祭)、11日(紀元祭 遙拝式)
  • 3月:17日(祈年祭)、春分日(春季皇霊祭 遙拝式)
  • 4月:20日(春の例祭 宵宮祭)、21日(淡路祖靈社例祭・春の例祭 前日祭)、22日(春の例祭 本殿祭・神拝祭)、29日(昭和祭)
  • 5月:立夏日(湯立神楽祭)、下旬日(播種祭)
  • 6月:下旬日(御田植祭)
  • 7月:2日(半夏生祭)、旧暦6月15日(夏越大祓式 夏祭宵宮祭)、旧暦6月16日本宮(夏祭本祭 献灯祭)
  • 8月:5日(濱神社夏祭)、立秋日(湯立神楽祭)、15日(大東亜戦争戦没者追悼祭)
  • 9月:23日 秋分日(秋季皇霊祭 くにうみ神話祭 遙拝式)、中秋日(観月祭)
  • 10月:1日(抜穂祭 御齋田稲刈式)、8日(秋祭 宵宮祭)、9日(秋祭 本祭 流鏑馬神事)、10日(神德講社大祭)、17日(神嘗奉祝祭 遙拝式)、20日(頭髪感謝祭)
  • 11月:3日(明治祭)、立冬日(湯立神楽祭)、15日(七五三祝祭)、23日(新嘗祭)
  • 12月:13日(事始め 大注連縄奉製)、23日(天長祭)、31日(歳越大祓式 除夜祭)

三大神話神楽祭

三大神話神楽祭は今年で11年目を迎えます。日本の神話の伝承地である兵庫県淡路島と島根県出雲、宮崎県高千穂の神楽が競演します。日本の三大神話として高千穂「日向神話」では天孫降臨を伝える歌舞、出雲「国譲り神話」ではスサノオノミコトの八岐大蛇退治の歌舞、淡路「国生み神話」ではイザナギとイザナミによる国生み伝承の歌舞が、神楽として披露されます。

2016年に淡路島の「国生みの島・淡路」が日本遺産に登録されました。淡路島を国生み神話の島としてPRするために、2017年に9月23日を「国生みの日」に制定しました。三大神話神楽祭は、淡路島を国生み神話の島として神楽などの伝統文化を発信するために開催されます。

伊弉諾神宮の初詣

淡路島で初詣といえば、全国でも知る人ぞ知る歴史と格式を誇る神社「伊弉諾神宮(いざなぎ神宮)」となります。通称「いざなぎさん」です。淡路島に住む島民であれば、初詣は地元の神社といざなぎさんという方が多いのかもしれないくらいポピュラーです。最近ではパワースポットとして注目され始めて全国各地からも多くの参拝客が訪れています。

なお、初詣は参拝客が多いために、近くの一宮中学校や多賀小学校のグラウンドが駐車場(500円)として開放されます。他にも淡路香りの公園や一宮体育センターなどの駐車場も利用できます。年末には拝殿など29カ所に新しいしめ縄が取りつけられます。正門の長さ4.2メートル、直径27センチの大きなしめ縄は見事です。

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伊弉諾神宮へのアクセス方法

伊弉諾神宮へのアクセスは、自動車と高速バスの2つの手段となります。

自動車もしくは高速バスで伊弉諾神宮に到着して徒歩で参拝します。伊弉諾神宮は、一の鳥居、二の鳥居、手水舎、表神門、拝殿と順番に並んでいます。一の鳥居からアクセスすることになります。

自動車の場合は、伊弉諾神宮の一の鳥居の前に信号があります。敷地に沿った右側と左側に駐車場があります。右側と左側の駐車場から徒歩で一の鳥居まで戻ってきての参拝となります。

高速バスの場合は、停車駅から約100メートルほど歩きます。伊弉諾神宮の一の鳥居の前の信号に到着します。信号を渡ると一の鳥居に到着しますので参拝となります。

自動車を利用する場合

自動車の場合は、神戸方面からお越しの場合も、徳島方面からお越しの場合も、高速道路の神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮インターチェンジから下りて、一般道を走ること約10分で到着します。

津名一宮インターチェンジの出口の信号を右折して、県道66号線を進みます。途中、竹谷交差点を通過すると県道88号線となります。しばらく進むと両サイドに伊弉諾神宮まで石灯籠が並びます。

左手に見える淡路市立一宮中学校が目印です。一宮中学校前の信号から約200メートルほどで伊弉諾神宮に到着します。専用駐車場は「伊弉諾神宮の駐車場」の項目で記載しています。

高速バスを利用する場合

高速バスの場合は、JR三宮駅もしくはJR舞子駅の最寄りとなる高速バス乗り場で、淡路島行き高速バスが運行します。伊弉諾神宮へは、バス停「伊弉諾神宮前」まで直通の高速バスが運行します。

乗車する高速バスは、神姫バスの神戸三宮バスターミナルから高速舞子経由、高田屋嘉兵衛公園行きの高速バスとなります。乗車運賃は往復券を利用するとお得です。

時間帯により伊弉諾神宮前に停車する便がありますので、事前に確認をして乗車することになります。

高速バスの乗車料金

  • 高速舞子-伊弉諾神宮前:片道1,220円、往復2,200円
  • 神戸三宮-伊弉諾神宮前:片道1,480円、往復2,660円

高速バスの所要時間

  • 高速舞子-伊弉諾神宮前:約40分
  • 神戸三宮-伊弉諾神宮前:約70分(1時間10分)

神戸三宮から高速バスの発車時刻

  • 8:45、9:45、10:35、12:30、13:25

伊弉諾神宮前から高速バスの発車時刻

  • 12:22、13:22、14:22、15:22、16:24
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伊弉諾神宮の駐車場

伊弉諾神宮の駐車場は、近隣2カ所に無料の専用駐車場があります。一つ目の駐車場は、鳥居前の伊弉諾神宮前交差点の信号を右折して敷地に沿って進みます。左側に約25台程の駐車スペースがあります。

駐車場から伊弉諾神宮の一の鳥居までは細い歩道があります。すぐに到着します。

二つ目の駐車場は、鳥居前の伊弉諾神宮前の信号を通り過ぎて敷地に沿って進みます。右手に見える二つ目の鳥居を通過して、右側に約50台程の駐車スペースがあります。

駐車場から伊弉諾神宮の一の鳥居までは、横断歩道を渡って伊弉諾神宮の敷地に沿って信号まで歩きます。約5分で到着します。なお、駐車場に電気自動車用の充電プラグも完備されています。

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